ぼんやりと、東京pod許可局の『辺境論』をきき、もやもやしていた問題が何だか整理されてきたので、
とても久しぶりに書き記しておきます。
『辺境論』の内容を要約すると、
テレビとかラジオとかいうメディアは、文化の中心のように見えるけれども、
実は、辺境を写すのに最適なものなのではないか。
だから、変なおじさんとか、オカマちゃんたちと相性がいい。
辺境を中心に持ってくる。それを繰り返しているのだ、と。
そう、わたし、そうゆう物語が好きなの!
そして私がもやもやしていたのは、自分が主催している読書サロンのこと。
セクシャルマイノリティーと呼ばれる、ゲイ、レズビアン、トランスジェンダー、バイセクシャルなどの登場人物が活躍する小説を、応援する会。
そんな会を開きながら、私は、セクシャルマイノリティーが悩み葛藤し、苦しむ小説を、素直に大好き!と言えなかったのです。
ほんとは、好きなんだけど…
別に、苦しんでいて欲しいわけじゃないんです。
幸せが妬ましいわけでもない。
孤独であれとも思わない。
他人の不幸で飯がうまいなんて欠片も思ってない。
でもね、量産型の、想像の範囲内の作品読んだってちっとも楽しくないんだよ。
ものすごい苦しみを経験した人たちがつくる芸術作品は、本当に素晴らしいと、心底思うのですが、
私がこの作品が好き!って声に出してしまったら、
私の、現実社会での、マイノリティーに対する価値観まで詳らかにしてしまうようで、
あえて語るのを避けてきました。
苦肉の策で
「10篇ぐらいの短編集の中に、1、2篇セクシャルマイノリティ作品が入っているのが好きだな」とか答えてました。
世界ってこんなかんじ、ってすんなり受け入れられるから。とかなんとかって。
うそ、うそ。
すごい嘘ついてた。
辺境を中心に持ってくる。
マイノリティーで、イレギュラーで、私の知らない怖い存在を中心に置き、そこから世界を眺め、語る。
だから小説は楽しいんだよ。
普通に何事もなく、セクシャルマイノリティーが登場する作品も、もちろん素晴らしいけど、
セクシャルマイノリティーが、マジョリティーを奪取する日は来ないと思う。
だから小説は、辺境を中心に、マイノリティーを中心に持って来る。
ずっとずっとそれを繰り返す。