季節はずれの雨の日の後の晴天。
空は見事な水色で、風はしっとりと庭の木をゆらしていた。
天気が良いと、全てのことが問題ではなくなってしまうので、とても困る。
私は何か悩んでいたはずだ。
ぼんやりと考えていたはずだ。
窓ガラスがあまりにも透明だとか、落ちた椿のピンク色が嘘くさいとか、名前も知らない鳥のことを。
天気が良いと、全てのことが問題ではなくなってしまうので、とても困る。
10年前の毎日は、閉ざされ、暗く、冷たかった。
世界に関与できないという、焦燥だったのかもしれない。
世界をそのまま感じることが出来ないという強い不安でもあった。
世界はつまらなかった。
白神山地の山奥で、落ち葉と一緒に腐り果てたいと、消えてしまいたいと、願い続けた。
生きていれば、もっと「できるはずだ」という思いも、同じぐらい強くあった。
長かった。とてもとても長かった。
最も鮮やかに覚えているのは、終わったと、思った瞬間のことだ。
霧が晴れていくように、みるみる世界が色づいてゆくのがわかった。
空がきれいだと、涙が止まらなかった。人の体温で氷が溶けてゆくように、ぼたぼたと落ちた。
今日の空はそんなことを思い出させる。
多くの友人が悩んでいる。
死にたい殺したい消えたい傷つけたいと願っている。
10年前の私が、何を望んでいたのか、今はまったく思い出せない。