2016年1月5日火曜日

年末年始に思い出した、2015年の変化

2015年は、いろんな世界に飛び込んで、コミュニケーションを学ぶ1年だった。
なんだかんだもみくちゃにされているうちに、「今、社会人に求められる力」みたいなものがちょっとは身についたと思う。
今までは、学力とExcel力だけで生きてきた感じだったもんね。
なんだかうまくいっているぞ、と思う点を記しておきます。

■「コミュニケーション能力とは、嘘をつくことではない」と気づいた

コミュニケーションについて悩むシリーズ。
第1弾→ 相談が苦手でオタク気質な私の話し方トレーニング
第2弾→ 人間関係を悩み続けてみる(5ヶ月目)
第3弾→ エポケー(判断保留)とエンパシー(共感)について

「コミュニケーション能力」って誰とでも問題なく差し障りのない会話が続くことではなくて、
相手が求めていることを理解して、それを提供する力だとわかった。今更!
誰かのために頭を下げ、交渉し、クレームを言うという経験は、公私ともに増えた気がする。

おいしいレストランを紹介したり、
相手が腰の悪い人だったら、テーブル席をお願いしたり、
帰りにすぐタクシーに乗るために、事前に予約しておいたり、
資料のサイズを統一して、見やすいように並べ替えたり、
道に迷わないように、交差点に看板を設置したり、
お手洗いに手を拭くタオルなどがあるか確認したり。
どんな状況になってもいいように準備しておくと、自然に行動範囲が大きくなって、
相手が困っている時に、「ペンお貸ししますよ」とか「この 袋使ってください」とか声をかけられる。
これがどれだけ重要なことか、海外出張でよくわかった。

こうしたら、もっとこの人が今の時間を楽しんでくれるかもって思うと、電話をかけることもまったく苦じゃない。
でもやっぱり、自分にふりかかったことに対するクレームはまだ上手く言えない……


■お金をかけることの大事さがわかった
仕事でも、プライベートでも、ボランティア団体に関わっている。
どれも、不幸にも、国や地域の行政の力が及んでいないところ、という分野だ。
少しでも状況が良くなって欲しいと切実に思っている。
でも、ボランティア団体にはもう、自分は、関わらなくていいかなって思えた。
理由は「ボランティアが活躍している限り、状況は変わらない」と思ったから。

お金をもらっている人と、お金をもらっていない人は、労働に対する価値観がまったく違う。
正直、共存はできない。
ボランティアが活発になればなるほど、その付近でお金を稼いでいる人は、心穏やかではない。
むしろ、無料で質の悪いサービスが横行して、プロが駆逐されるんじゃないかな。

プロフェッショナルになるというのは非常に大切なことだと思う。
でも、ボランティア団体が急にプロフェッショナル団体になり、お金を稼ぐのは難しい。
そもそもそんなこと求めてない人がほとんどだし。

やっぱりどんな問題も、
今、その付近でお金を稼いでいる人が、その業界を改革・盛り上げるしか方法はないのかなって。
そう思ったら、なんだか急にボランティア団体と関わる意味が見出せなくなってきた。
「◯◯で飯を食う」とか「プロフェッショナルと関わりたい」というのは、
好きではない発想だったけど、今では、その意味が良く分かる。


■ストレスの対処法(ジョギング、低用量ピル)を知った
嫌なことがあったら走るって、すごく中学生的な考えかもしれないけれど、
その時、私にはそんな発想もなく、甘いものとかご飯とかに頼っていた。

そう。
今まで、元気がないときは「プラスする」方法で解決していた。
何かたくさん食べたり、何か買ったり、サプリを飲んだり、
厚化粧したり、派手な洋服着たり、
元気が出る映画みたり、テンションの高い音楽聞いたり。

今は「マイナスする」方法があると知っている。
夕食を食べなかったり、お酒を飲まなかったり、汗をかいたり、
化粧しないで肌を休めたり、ゴムのズボン履いたり、
簡単に泣ける映画を見たり、何もしなかったり。

低用量ピルに関しても、副作用はない。
休みを取ることも少なくなって、すこぶる良い。
「生理は管理できる」っていう圧倒的な安心感。勝った感!
あらゆるスケジュールを決める時の(あ、その日生理かも…)っていう不安がゼロになる。
悩んでいる人は早く飲めばいいよ。

ピルを飲むまでの記録→ 健康になりたい!