2018年9月10日月曜日

対話とは、多分私が経験したことのないもの。合コンみたいな。


差別に苦しんでいる人や、社会システムで不利益を被って怒っている人に
「冷静になれ。その方法じゃ誰にもあなたの悩みは伝わらないよ」とか言ったり、

結婚したくて、恋愛市場での自分の価値をあげるために頑張っている人に、
「そんな、他人に点数つけるような人たちがおかしいよ」とか言ったり、

自分がゲイだって絶対に、親にも友人にも職場の同僚にも言えないと悩んでいる人に
「そんなの悩む必要ないよ。何か資格とって都会で就職したら?」とか言ったり、

なんらかの理由で、十分な教育を受けられなかった人に、
「頭つかえよ。ニュース読みなよ。」とか言ったり、

周りの男性に30年以上馬鹿にされ続けて、すっかり内面化してしまった女性に、
「怒らないとだめだよ!ちゃんと上申しないと!」とか言ったり、

なんでそういうことが起こっちゃうんだろうと思ったけれども、
それって本当に、ただ、相手が見ている世界や環境を知らないだけなんだ。
自分が見えている世界と、全然違う世界があるということを、認知できていないだけなのかもしれない。

対話ってなんだろうと考えれば考えるほど、
「私は、対話を、したことなかった」と思うし、
対話が成立している状態はこうです、とは、説明できない。

対話とは、そういうことなんだ。
「ほんと、まじ意味不明」「なんでそんなこともできないのかな」って思うような人と、
フラットに話しつづけられるかってことなんだ。
「戦争と暴力を終わらす方法は、唯一、対話だ」とは、
私の大好きなアンジェイ・ワイダ監督の映画から学んだことだけど、
ただ、叫ぶだけではない。怒るだけではない。


なんで、私が、今、気付けたのかというと、
読書会というものを数年間主催していて、
そろそろ気づくべき時が来た、というのもあるが、
人生で初めて”合コン”に参加したというのが、会心の一撃だと思う。

私にとっての合コンは、
「私の知らないルールで、私には認知できないカードを、
男女が切った張ったやっている。
私には、自分の手持ちのカードすら、認知できない。
日本語を使ってはいるが、たぶん言葉の意味がまったく違うので、
ほぼ、お互いに言っていることの意味が、伝わっていない。」

そう、よくわからない領域の学会発表に来てしまった感じ。

それまでは、私は、冗談で
「私の周りには、自民党支持者は居ないんだけどな」とかすら言っていたのだが、
それが、自分と似た人とだけ関わってきた、という
「かなり深刻な状況」を表しているんだとは、正直、思ってもいなかった。

むしろ私は割と、異文化コミュニケーションを学び、海外出張とかもあり、
飲み屋のゴルフコンペとか異業種飲み会とかNPOとかで、
いろんな人に会ったり話したりしているつもりだった。
異文化っていうのは、そんなところにはなかった。
全く認知できないものだった……。


あと同時に思うこと。
女性の社会進出とか、多様性の尊重とか、民主主義とかって、
国際社会における日本の評価にも繋がるし、
実際それに困って苦しんだり自殺してしまう人もいるし、
この問題は、むしろ気づいていない人の方が深刻。

以上のことを考えると、
振り込め詐欺や客引き詐欺と同じように、
「学校が、下着の色を指定することはありません。すぐに児童相談所にご連絡ください」
とか
「育休申請を理由に、減給することは違法です。お近くの労基にご連絡ください」
とか
住宅地やオフィス街を巡りながらパトカーで広報するとか、
商店街で、15分に1回、注意喚起するアナウンスを流し続けるとか、
そうやって対処しなきゃいけない問題なんじゃないだろうか。


2018年7月31日火曜日

2020年 教育改革について、虚学を志す人の感想。

コミュニケーション能力とかいうものに長年悩まされてきた人間として、
一応読んでおこう、書いておこう。

教育改革についてはベネッセのページが、一番シンプル。
2020年 教育改革早わかり(ベネッセ)




中村高康『暴走する能力主義』ちくま新書、読んだ。
遡上にあがっている「能力」というものに
どういう特性や性質があるのかというのは置いといて、
(それがこの本のメインなので、なんか申し訳ないけれど……)

2020年の教育改革は、そもそもよく議論されていないって主張は、
まあ私は文科省の人間では無いので、本当にそうなのか確かめられませんが、
たしかに、「ゆとり教育」の何が良くて、何が悪かったのかという
冷静な振り返りは、ほとんど聞かない。
真面目な誰かが、独自でやっていると思うけれども。

だから今回の教育改革も、
過去にどんな失敗と成功があり、
今どんな問題があり、何を解決したくて、
「対話的で深い学び」とか「創造力」とか「学び続ける力」とかの
さまざまなキーワードを設定したのか、わからない。
なので、なんかぼんやりと理解したふりをしている。それは確か。

でも、学習指導要領って、ずっと、入試対策ではなかったよね。
きちんと、年齢相応の知識を教えようとしていたよね。
なのに現場が、受験一色になっちゃってまったく変わらないから、
「今回は最終手段!入試を変えま〜す!」ってことなんだと、理解している。


「能力」は計れないし、
それが何を示しているかも時代で変わってゆくから問題だって、言うのもわかるし、
そんなもんで評価されてたまるかって気持ちもわかる、
でも、そういうものに対応する力が教育の現場に求められるのではないのか?とも思う。
「コミュニケーション能力」が何を指し示すかは確かに不安定だけど、
一人の児童のほうがもっと不安定だぞ。


6歳〜18歳に何が必要なのかってことも考えたい。
アカデミズムは、変わらない。
たぶん、そんなに、大発見は立て続けにおこらない。
だから、アカデミズムのための規則や価値観を知るのは、本当に、何歳からでも遅くない。

でも一方で、多様性の受容や、寛容の精神を知るのは、若ければ若い方がいい。
若いときにしか理解できない小説や漫画もある。
大学に行かない人も、高校に行かない人も、理解しなきゃいけないことがある。

きちんと応援しよう。
そうすれば、いつか、きちんと反省できるはず。

2018年6月7日木曜日

差別や偏見は、私の中に、確かにある。

先日、早稲田大学スチューデントダイバーシティセンター主催のヒューマンライブラリーに、
「本」として参加してきました。
開催概要はこちら。
https://www.waseda.jp/inst/icc/news/2018/03/05/8210/

「学校の課題で、ネットで調べてきたんですけれど、思っていたのと全然違いました!」
「ゲイは知り合いにいるけれど、レズビアンの方にはじめて会います!」
と言う、初々しい参加者に会えてよかった。
こういった、きちんとした場で、好奇心を肯定するのも必要だと改めて思った。
何よりも、私が、自分の31年間をうまく整理することができた。
次回もあったら参加したいな。
いくつか思ったことを。

1、ネットでは「何が大事か」が伝わらない
2、自分の中の差別心を肯定すること
3、アイデンティティーに固執する大切さ



1、ネットでは「何が大事か」が伝わらない
当然だけど、ネット上に、すべての情報があるわけではない。
一人の人間が、ネット上にある膨大な情報から、
取捨選択して、そのほかよりも重要な情報にたどり着けることはほぼ無い。

青空文庫の中から、自力で、読みたい作品を探せる人は居ない。

そんなことをぼそっと言ったら、信頼している友人が、
「インターネットで一番伝わらないのは、スケールだ(大きさ/規模)」と言っていた。


2、自分の中の差別心を肯定すること
早稲田大学のヒューマンライブラリーの、告知文がとても気に入っている。

「あなたは『偏見』を持っていますか?」
「はい、持っています。」こう即答できる人は、どれくらいいるでしょうか。

私は、元世界銀行副総裁西水美恵子さんの、
自分自身の差別意識についての記事(時代の風 女性の社会進出)を、いつでも読めるようにしている。
マイノリティであることの一番の苦しみは、「自分の中の差別意識を認めること」だと思う。
誰よりもまず、自分が、自分を差別している。
「差別」と「偏見」は、あるんだ。どうやったって、完全には無くならない。
それを認めない限り、「差別」と「偏見」をなくす努力はできない。

このことについては、ずっともやもやと考えていたので別の機会にまとめる。


3、アイデンティティーに固執する大切さ
毎年、東京レインボープライドの規模は大きくなっている。
進んでいる企業やコミュニティーでは、
といっても、本当にそれが"進んでいる"ことなのかわからないけれども、
まあ、その一部の"進んでいる"企業では、
「マイノリティーであることは問題ではない」というメッセージを発することがある。

渦中にいる人にとって、その言葉は暴力だ、と思う。
そして、悩んできた過去の自分を、否定する言葉だ。
こんなことで苦しんでいるのは世界で自分だけだ、と思って、
友人にも家族にも相談できず、問題について冷静に考える時間も情報もない人たちに、
そしてかつての自分に、そんなことは言えない。

やっと手に入れたアイデンティティーに、しがみついて何が悪い。
そこが安全だと確認できるまで、何かをつかんだその手を、緩めることはできない。

私だって、こんなことで悩んだりしない10代に戻れるのであれば、
今すぐ、どんなにお金かけても、やり直したい。
でも私は、「高校と大学で、たくさん苦しんだことが、良いことだったんだ」と自分に言い聞かせるしか、できることはない。
ほかの人も、きっと、そう。

今回のイベントは、「ここは安全だ」と心から思えた。
運営スタッフの方々への、最大限の感謝と尊敬を込めて。