2015年12月23日水曜日

なんで「同性婚反対」のゲイとレズビアンがいるの?

渋谷区と世田谷区でのパートナーシップの証明書発行のニュース、宝塚市や那覇市などでも同様の動きがあり、
私は友人たちと素直に喜び、祝杯をあげたりしていた。
「あ、私はレズビアンなんだと」自覚し覚悟した時、
同時に捨てざるを得なかった「結婚の可能性」が、なんだか復活しそうだからである。

同時に、SNSや、新聞の記事や、電車の中や、飲み屋の隣のテーブルから、多くの反対意見を聞いた。
もちろん、ゲイやレズビアン、バイセクシャルの友人たちからも。
2、3年前から思っていた、なんで「同性婚反対」のゲイとレズビアンがいるの?という疑問。

それが解決しそうなので少々頭の整理を。
きっかけは、伏見憲明さん主催の読書会で、渡辺秀樹、竹ノ下弘久編集『越境する家族社会学』に収録されている、
小倉康継「家族のそのさき、絆のそのさきーー「ゲイのエイジング」というフィールドワーク」を読んだからである。
(実は諸事情により、読書会は欠席したんだけど…)


以前からだいたい分かっていた、
同性婚反対のゲイやレズビアン、バイセクシャルの方々の主張は以下のようなものだ。
1、いろいろな理由で、結婚は男女のものでしょ、と思っている。
2、反対しているのはパートナーシップ条例の中身や効力であって、同性婚ではない。
3、反対しているのはパートナーシップ条例の作り方であって、中身ではない。

それに対して、私は冷淡だが以下のように思っていた。
1、あなたの理想の結婚はどうあれ、それを他人に強制する権利はないと思う。
2、今ある条例は、あなたが求めていたものではないかもしれない。でもそれによって救われる人をあなたは否定できないでしょう。
3、決定してしまったことを後から文句言うのは誰だってできる。大切なのは、同じ過ちを繰り返さないように、意見を伝える努力をすることなんじゃないかな。

しかしながら、イマイチ良い答えが考えられない反対意見があった。

4、同性婚なんて、古い社会制度を維持するだけだ。何の問題解決にもなっていない。

というもの。
次元が違う。何を指摘されてるのかすらわからん。
2番と同じ「今ある条例は、あなたが求めていたものではないかもしれない。でもそれによって救われる人をあなたは否定できないでしょ。」っていう答えで心を落ち着けちゃうのも良いのかもしれないけど、でももっと大事な考え方のような気がして 。
安易に答え出しちゃいけないぞ、と思っていたのです。

そして、読んだ。
小倉康継「家族のそのさき、絆のそのさきーー「ゲイのエイジング」というフィールドワーク」

わかったのは、みんな「家族ってなんだろう。自分は誰と生きてゆくんだろう。誰と死ぬんだろう。」ってことを、ずーっとずーっと考えてきたんだ。ということ。
そして、結婚制度の外で、パートナーと長年幸せに暮らしている友人、たくさんの友達に見守られてゆく友人、一人で死んでゆく友人を、たくさん見てきたんだ。
そして選択しないと決心した、現行の結婚制度は、対象が同性含むようになったからって、歓迎できるものじゃない、ってこと。

私、結婚や社会学には詳しくないけれど、
自分の祖父母や親の世代のように、
「男が外で働き、女は家事と子育て」という家族が、もう既に主流ではなくなっているというのはわかる。
なんでそんな歪な家族が必要だったかというと、それは、高度経済成長を効率良く支えるためだったかもしれない。

今は「男も女も程よく働き程よく遊び、子育てするなら2人で」って言うのが良いとされているような気がする。
結婚して子供がいる家族も、子供がいない家族も、事実婚の家族も、離婚して以来一人の人も、シングルファザーも、シングルマザーも、血縁関係のない人たちで住んでいる家族もたくさんいて、こんなにシェアルームやシェアハウスが流行り、いろいろなコミュニティーが出来上がっているのに、国に認められている関係が現行の結婚だけっていうのは流石におかしい。

結局、同性婚が認められるようになったって、本当に必要な「家族概念の拡大」にはちっとも寄与しない。それどころか、家制度や恋愛至上主義の延命になるだけだ。


だからわたしは、この4つ目の主張に対してはこう答えようかと思う。
いま、同性婚できないことで困っている人たちはたくさんいる。結婚できることが、支えになる人もたくさんいる。
でも、それだけじゃ、当然だけど、とてもじゃないが全員を救うことはできないと思う。
そして多分わたしは、いまの日本の結婚制度のままでは、同性婚が可能になっても利用しないと思う。

2015年12月18日金曜日

12月13日福生市LGBT講座、記録

12月13日、虹色とんちーさんの福生市LGBT講座に呼ばれて、当事者として自分の体験をお話ししてきました。
犬童一利監督の「カミングアウト」上映会のあとの対談です。お相手は、友人のななさん。二人とも、レズビアン。忘れないうちにメモしておきます。
聞いてくださった皆さん素敵な人で、泣きそうになりました。

  

映画「カミングアウト」の感想
私は、見るのは2回目。良かった。
1回目見た時、犬堂監督に「監督がゲイだったら殴ろうと思った」とか言っちゃったけど、今回は良かった。ごめんなさい。
最初、なんでそんなこと思ったんだろうと考えてみたんですが、
多分、映画に、想像の範囲外なことが起きないから。
カミングアウトしたらこんなことが起こるんじゃないかとか、一生懸命想像したり、
ゲイバーで聞く先輩方の失敗談とか、
カミングアウトしようとしている友達から聞くこと、そのまんまだから!


実際カミングアウトしてどうだった?
実は、「気持ち悪い」とか面と向かって言われたことはない。
友達関係は、静かに飲み会の誘いが来なくなるとか、そんな感じ。
兄には、「家族の性生活に興味ねえ」って言われた。後から考えるとひどい言葉だけど、その時は、肯定されたと思っちゃった。


カミングアウトするまで(1)自分のセクシャリティを受け入れる
カミングアウトしよう、って覚悟が決まると案外楽で。大変なのはその前。
私、高校生の時、「レズ」って単語しか知らなかった。
「レズ」ってネット検索すると、ほとんどAVの情報しか出てこない。
だから私、将来AV女優になるしかないんだって本気で悩んだ。
「レズビアン」ていう、自分を説明する言葉を手に入れた途端に、私は「レズビアンらしく生きなきゃ」と必死になった。
レズビアンらしい服装、レズビアンらしい立ち振る舞い、レズビアンらしいお酒の趣味、とかなんかそうゆうものがあるんじゃないかって思って、必死に頑張ってた。そんなものないんだけどね。それがわかるのに2、3年かかった。

ななさんの場合
自分はテレビで「変態」って笑われる人たちになるんだと、思った。
この子が好き!って気づいた時に、「男にならなきゃ」って思い込んで、しばらく自分をFTMだと思っていた。それが違うって気づいたのは、初めて自分以外のレズビアンに会った時。
しばらくは、レズビアンだというよりも、バイセクシャルって言ったほうがなんだか広く社会に受け入れられるような気がして、ずっと周りにはバイセクシャルって嘘ついてました。


カミングアウトするまで(2)自分以外のセクシャリティを知る
私もななさんも、生まれながらに多様性なんて持ってないんです。
実は、ものすごい勢いで、自分の中の偏見と出会い、乗り越えているだけです。

私は、2丁目に通いだしてすぐのとき、男っぽい2人のレズビアンが、恋人同士だって聞いて、もうびっくり仰天した。2人とも男役じゃないの!?って。
異性愛規範を私も持っていることに気づいた。
バイセクシャルって、彼氏も彼女も両方欲しい人でしょ。ゲイって別に女ともできるんじゃない?とか、手術してないのにトランスジェンダーって名乗ってるの?とかものすごい偏見の塊だった。一個ずつ、「あっ、違うんだ!」ってちゃんと自分の偏見を恥じてきた。
初めてMTFレズビアンに会ったときは、「わー!初めてMTFレズビアンに会いましたー」って言いそうになった。自分が「レズビアンに初めて会いましたー」って言われてちょっともやもやっとすることを、私が、やろうとしてた。
自分以外のレズビアン、自分以外のセクシャリティの存在を知って、自分がどう生きたいかとか、もうそんなカテゴライズに惑わされる必要はないとか気づく。
時間がかかることだと思います。


カミングアウトした後
カミングアウトは出発点で、それからが大変。
「レズビアンもスカートはくの?」とか
「男の子になりたいの?」とか
誤解はたくさんある。
でもだいたいもう怖いものなし。何聞かれても冷静に答えれるかな。


印象的だった参加者の言葉
セシャリティが揺れるというのに、驚いた。みんな小さい時から、ゲイだってわかっているものだと思っていた。でもそれをちゃんと受け入れるのに時間がかかるって、今回初めて知った。
息子には自由な生き方をして、いろんな人を受け入れられる人になって欲しい。
いま、誰にも言えないで苦しんでいる人がきっと知り合いにもいる。私がこのLGBT講座に行っていることを知って、少しでも楽になってくれればいいと思っています。
LGBTらしくじゃなくて、みんなが自分らしく生きれるようになるといいね。