2016年10月31日月曜日

ポートフォリオと認知療法と『キンキー・ブーツ』について



1、ポートフォリオ
教育界では何年も前から「ポートフォリオ」の必要性が叫ばれていました。
ポートフォリオって、そのままの意味だと、書類入れとかファイルのことです。
文脈によって表すものが大きく違うのですが……

アートの分野では、作品集みたいな意味で、自分が今までに作った作品をまとめて、履歴書のようにバラまくもの。
金融業界では、運用資金の投資した先の、その割合や組み合わせのこと。
スポーツ界では、練習の目標や、今のスコア、自分の課題などを書き込むノート。『野球ノート』や『サッカーノート』などの名前で部活動をする生徒たちの間に広がっています。
教育分野では、学習の過程の成果物(読んだ新聞記事や、レポートや、発表資料などなんでも)をまとめておくもの。
そのほかにも色々な意味がありますが、今回は教育分野について。

なぜか、教育界では、このポートフォリオ、いまいち人気がありません。
2012年ぐらいにいろんなところで目にするようになりましたが、あまり広がっていないようです。
本当に効果があるの?という先生方の声をよく聞きます。
というか、私、納得いく説明を聞いたことがない。

しかし先日、東京学芸大学の森本康彦先生の話を聞いて、目から鱗が落ちました。
学習のパラダイムシフトが(やっと)起こっている!!!ということ。

ポートフォリオは、絶対的な正しさ、絶対的な知識がない分野で、効果を発揮します。
現代社会は、価値観が急速に変化し、そして多様化してゆきます。
毎日毎日新しい技術、新しい思想、新しい文化が生まれてゆきます。
一つのコミュニティーで一生暮らす人はほとんどいません。
生まれたコミュニティーで身につけた価値観や行動規範に、ずっとすがって生きることはできません。
自分と異なる価値観を持った人たちと出会う中で、自分の価値観を確立してゆく必要があります。
今の子供たちは小さい時から、毎日異文化に接しています。
学校を卒業した後も、50歳になっても60歳になっても学び続けていかなければなりません。
教科書はありません。試験もありません。だれも採点してくれません。だれも答えを知りません。
そんな中生きて行くために必要なのは、「学び方」を知っていること。

この「学び方」を知るための道具がポートフォリオです。
学んでいる過程というのは、外から見ていてもわかりません。すぐに消えて無くなってしまうものです。
それを注意深く記録しよう、という試み。
それがポートフォリオです。


2、認知療法
大学で就活が始まる時期から、どんどん友人たちが病んでいきます。
社会人6年目になっても、またお前もか…ってぐらいの勢いで病んでいきます。
日本はどうなっているんだ。なんという社会だ、と時々嘆いたりするんですが、
私が一人で嘆いたって世界は変わらないのです。

そんな病んでいく人たちにお勧めしたいのが、認知療法、認知行動療法です。
微妙に違うらしんですが、発想は同じ。やることもだいたい同じ。
事実と感情を、切り離して考える訓練をします。

みけにゃんProject

上記のサイト、結構古いし、語尾がムカつくんですが、わかりやすいと思います。
あと、別にこのサイトに書いてあること全部しなくてもいいんです。
とにかく、辛い自分の気持ちと、それを引き起こしている事実を分けて、書き続けること。

そしてちょっと落ち着いている時に、過去の自分のメモを読んでみると、
そうかこの時こんな感情になったのは、もしかしてあれのせいかもしれない、とか。
なんだこれ、これっぽっちのことで死にたいとか思っていたのか…とか。
自分の認知の癖や歪みが見えてきます。
自分の頭の中にある感情を、整理する道具になります。
そして感情をコントロールするためのきっかけを、知ることができます。

最初は何を書けばいいのかわからなくて、誰に見せても100点満点の、気持ち悪い日記になると思いますが、
慣れてくると、誰にも見せられない、大切な自分だけのノートになります。
これだよね、ポートフォリオ!!!
自分の中の思考の変化、成長の過程、トライ&エラーを記録してゆくもの。





3、『キンキー・ブーツ』
大好きな映画『キンキー・ブーツ』のミュージカル版、9月に日本人キャスト、10月に来日版、見ました!

感想は長くなるのでここでは触れず…。
とっても素敵な台詞がこちら。

You change the world when you change your mind.

認知を変えれば世界が変わる、ということ。
この言葉を改めて、噛みしめています。
今、努力して異質なものを受け入れても、次にまた新しい異質なものが登場します。
常に世界が変わるということは、常に自分の意識も変えていかなきゃいけないってことなんだなぁと。
そうしないと「男」とか「女」とか「日本人」とかいう危ういアイデンティティーにしがみつく人たちと同じになってしまう。

つながりが希薄、とか言われている現代の若者たちだけど、大丈夫。
教育は、「自分と隣人の価値観が違う」状態でも生きてゆけるように、準備している。
ポートフォリオ、すごいんだよ!

2016年10月19日水曜日

10年前の友人に対して、懺悔。

最近すごく過去のことで恥ずかしいというか後悔していることがあって、それは、 昔の友人への、自分の対応なんだけど。
昔の友人というのは、10年前、一緒に韓国語初級クラスに通っていた女性。
今はまったく連絡をとっていない。


彼女は、はじめて会ったときから在日韓国人であると隠さず、本名を使っていた。
彼女はいつも声が大きくて、明るくて、面白くて、いつもクラスの中心にいた。
いつも彼女の趣味のドラマとかダンスの話とか、仕事の話とかばかりしか話していなかったけれど、あるとき、彼女が、自分が在日韓国人であるということについて、話をしてくれたことがあった。
いつもと違って真面目に、少し目に涙を浮かべながら。

高校までは、通名を使っていたこと。
家族はいまでも通名を使っていること。
韓国にいる親戚と、言葉が通じなくて困ること。
在日韓国人は、有名大学を卒業しないと就職口がないと聞いて、浪人して、猛勉強したこと。
いつも持ちあるいている在留カードも、見せてもらった。
同じ韓国語のクラスに、在日韓国人が何人かいるということも教えてもらった。それが誰かは教えてくれなかったし、私も聞かなかったけれど。

私は彼女を当たり前の存在と思っていたので、
あなたを差別する人がいるの信じられない!
今は幸せそうでなによりだね!
と言って、笑っていた。

いま、いろんな在日外国人の方や外国語母語話者の方と仕事して、
お酒を飲んだりして、やっと、
差別は私のすぐ隣にある、ってことを知った。
彼女と会った10年前は、私は何も知らなかった。


在日外国人であることでどんな差別を受けているのか。
日本と韓国のどちらにも所属していない彼女が、本名を名乗れるようになるまで、どんなに悩み、苦しんだのか。
いま、本名を名乗ることで、どんな苦しみを味わっているのか。

在日外国人は、家を借りにくいとか、
在日外国人は、就職しにくいとか、
在日外国人は、レストランを予約してもトイレの近くの席に案内されるとか、
そんなの極々一部の差別主義の人がやっていることで、
私はしない(だから関係ない)と思ってた。

でもそういうことって、1回体験するだけですごく傷つく。
名前を名乗れば、外国人ですか?と確認され、
日本に住んで長いんですかと聞かれ、
日本語の能力が低いと思われ、
使ってもいないのに、通名にしたら、と他人に言われ、
「あ、うち外国人には部屋貸せないんですよ」と面と向かって言われることは、
すごくすごく傷つく。
自分はなんで「日本人」じゃないのか、何度も悩んだだろう。

笑顔で私の目の前にいた彼女は、そういう体験を確実にしていて、
毎回、傷ついてきたんだと、いまの私は想像できる。
そんなことも知らず、他人事のように彼女の話を聞いていた、かつての私…。
あのとき彼女は、私にもっと話したいことがあったのかも知れない。
嫌なことがあったのかもしれない。
もっと寄り添ってあげられたかもしれない。


日本で生まれて日本で育って日本で働いて、
日本で生活している人は、日本国籍を持っている人だけじゃない。
日本語を母語としている人だけじゃない。
日本文化に属する人だけじゃない。
日本にいる「外国人」は、旅行者や留学生だけじゃない。

最近、いろんな場面でわっと後悔の念が湧き上がって、
どうしたら良いのかわからなくなるので、ここに 書いておきます。
知らないとは、こんなにも恐ろしいことなのか。
いまの友人たちと、これから出会う人たちを、大切にします。
懺悔。

2016年10月9日日曜日

未来の日本語について考えていることメモ

・第四、五言語で勉強したい人たちを増やす
・カタコト日本語をどれぐらい許容できるか

平成27年国勢調査で、日本の人口の減少が報告された。もう日本語を第一言語とする人口は、たぶん増えない。
っていうか、国勢調査は外国人も入っているから、もうだいぶ前から減少しているんじゃないかな。
これから、日本語を第一言語とする人は急速に減ってゆく。
じゃあ、誰が日本語を話すの?


日本語を第二言語として勉強する人が増えるかしら。
いや、そこは英語がやっぱり強いだろう。
母語で高等教育を受けれない人たちは、英語を勉強するし、
英語で書かれた教材はネット上に、あふれている。
もう日本の大学に行くために、日本の会社に就職するために日本語を勉強する人はどんどん居なくなる。

日本語を第三言語として勉強する人が増えるかしら。
いや、それも、中国、台湾や南米の言語が強いでしょう。
仕事もあるし、母語話者と出会う確率も高いし。

これから日本語が学ばれるのは、第四言語ぐらいなんじゃないかな。
日本語でマンガ読んでみたい。
うちのおじいちゃん日本人らしいんだよね。
昔、日本に旅行に行ったことがあって、楽しかったなー。
とかそういう人が勉強する。

問題は、日本語母語話者のほうにあると思う。
片言の日本語をどれだけ許容できるか。
日本人らしからぬ言葉をどれだけ受け入れられるか。

かつて(今も?)英語母語話者が抱えていた問題と同じ。