2022年8月3日水曜日

『犬王』を見て、国立ハンセン病資料館に行った

『犬王』を見ました。
うーん、古い。全体的にダサい。
特に、身体障害者に関する描写に、心がざわざわする。


私は、ドリアン助川の『あん』がとても大好きで
小説を読んで、映画版を見て、ミュージカル版も鑑賞していまして、
特に小説は、もっとも友人・知人たちへ贈っている書籍です。
江戸川乱歩や中井英夫の作品の中、
『もののけ姫』に登場している、ハンセン病患者の描写にも親しんでいました。

だからこそ、『犬王』でのあまりにも表面的な障害者の描写に驚きました。
「フリークス(奇形)扱いかよ!」と思いましたが、
私は、決して、ハンセン病のことを知ろうと勉強したことがなかったので、
どういった点が私にそう思わせているのか、説明できませんでした。

そして、『犬王』を見た1週間後に、初めて国立ハンセン病資料館を訪れました。
すぐに、不快感の正体に気づきました。

『犬王』のあらすじをざっくり説明しますと、
平家の呪いによって盲目になった琵琶奏者と異貌に生まれたダンサーが、
インディーズバンドを組み、路上ライブを重ね、
子供や大人、身体障害者や健常者から分け隔てなくく支持され、
のしあがってゆくという話です。

身体障害者も、健常者と同様に音楽を楽しむことができるという描写が、私の違和感の原因でした。
手足のない人や、ハンセン病によって指や鼻がゆがみ、髪が抜けてしまった人は、
ただ、その見た目でわかる不自由さだけで苦しんでいるわけではありません。
特にハンセン病は、皮膚の知覚が鈍くなるという症状があます。
気づかないうちに裂傷や火傷ができて、膿んでしまったり、
汗が出にくく、体温調節がうまくできなくなります。

健常者向けにデザインされた町やインフラ、社会制度も大きな障害です。


『犬王』の結末では、後天的に盲目になった琵琶奏者は、
琵琶法師のコミュニティーも名前も捨てて新しい音楽を求め、反体制として処刑されます。
先天的に異貌に生まれたダンサーは、
ライブを重ねるたびに呪いが解かれ、やがて健常者となり、時の政権の寵愛を受けます。
その寵愛もいずれなくなるということは、物語の外では明白なわけですが…

身体の障害が物語の重要な要素である作品なのに、障害者に対しての愛情も尊敬も感じませんでした。

2022年6月28日火曜日

対話の実践における問題

最近やっと、対話がうまくいっていない状況がよく認識できるようになってきた。

長い間、自分の問題でいっぱいいっぱいで、
どうにかこうにか頑張って1日1日生きてきたので、
友人との関係とか、友人が何を考えているかとか、気にする余力もなかった。

最近は、月に1回の産業医のカウンセリングのみで、かなり落ち着いている。
仲の良い友達だけでなく、今一緒にいる人たちと心地よく時間を過ごそうという心の余裕も出てきた。

ただ、成人してから知識としてコミュニケーション方法を勉強したので、経験をうまく理解できないことも多い。
だけれども私は、素敵な友人たちに恵まれて、言語化する訓練ができた。
これまでの、解釈するのに時間がかかった経験を記したいと思う。
記録と、そして自戒のために。


 

・対話が(今)できない
怒っていたり、混乱していたり、
生理的な嫌悪感とか、諦めとかいろいろな理由で私と対話しようとしない人はいる。
嘘ついたり、相手を黙らせようとしたり
対話するフリとかしない分、まともな人だな〜とは思う。
けれど、相手からのアクションがないので、
対話のチャンスを逃さないようにしようと思って、つい追い詰めてしまう。

・言葉が通じない
私はカラオケが好きじゃないしゲームも興味ないし、そうはっきり伝えているのに。
カラオケ行きたい!一緒にゲームしよう!と3回誘ってきた。
どうやって意思疎通したらいいのかわからなかった。
こちらからの「リアクションがあること」に反応しているので、
テンプレやスタンプなど、最小限の返事を続けることが、お断りの意味として伝わる。

・全く相手に興味がない
すごくたくさんわーっと話す、にぎやかな人で、他人に興味がない。
10年来の知り合いで、コピーバンドもやってる人に対して、
「音楽好きなんだっけ!そんな印象ないなー!」などと言っていた。
横で聞いていて、さすがに笑ってしまった。
笑われても気にしていない。

・他人のことを暴露する
「知り合いに紹介する」と言いながら、
単なる私のプライベート情報を人に言いふらしていた。
共通点が見出せないような、変な情報ばかり伝えるので、誰とも仲良くなれなかった。
むしろそれを聞いた相手は引いていた。
そうやって、私を囲い込んで、群れの仲間にしようとしているようだった。
私が仲良くしたい人は私が選ぶよ、と主張したら喧嘩になった。

・分からないことを分かると言う
「ドイツ映画」とか「熱帯フルーツ」みたいな
大きなジャンルの話にはノってくるのに、具体的なことは全く話さない。
違和感があって、相手の考えを引き出そうとしたら、
「うちらの感性が同じなんだよ〜」みたいな言葉で誤魔化された。
仕事や面接じゃあるまいし、知らないことや分からないことを分かっているフリするメリットなど全く無いから、プライベートでそんなことする人いないと思って、油断していた。
いた。結構たくさんいた。

・分からないことを分からないと言わない
私が話していることに、「そうっすね」「まあね」「せやな」「それな」と、
相槌を打っているが、ただ聞き流しているだけ。
分かっていないなら、質問したり、話を止めたりしてほしいのだが、しない。
そういう人と、対話を続けるのは本当に難しい。
何を話したらいいのかわからない。

・関係性を断定する

「私たち親友だよね」
「ビジネスパートナーじゃなくて、友達関係になりたい」とか言う。
判断基準がわからなくて困った。
文字だけ見ると、セフレの別れ話っぽい。趣がある。

・怒られることに慣れすぎている
話をするつもりはあるが、
相手の発言を、ほとんど「責められている」「怒られている」と受け取る。
かつて私もそうだった。
「頭良いね」と言われたら、二言目にはののしられると思って身構えていた。
でも、私には他の人の問題は解決できない。

・相手を試す
料理とかお酒とか、明確に好みがあるのに「オススメありますか」と言う。
「あなたが私に食べて欲しいもの」と言って料理を注文している人もいた。
リクエストではなく、ただ相手を試しているだけなのだが、失礼なことだと思っていないようだ。

・自分の「言いたい」欲を満たすために言葉を使う
「体、重そうですね」とか「剛毛ですね」とか、わざわざ本人に言う。
「背、高いね」とか「肌、白いね!何か特別なことしてるの?」とかとも似ている。
言ったらダメだよ、といわれていることを果敢に言う。