2015年10月30日金曜日

科学とか基準に対する愛憎

お仕事で日本語教育にかかわってきて、もやもやすることがよくある。

■日本語教師の待遇について。
不思議なことだが、国内でも海外でも、
日本語教師の給料は、だいたい英語教師の半分らしい。
原因は、無料で日本語を教えるボランティア精神旺盛な日本人が世界中に存在すること!
通訳とか日系企業に勤める方が、条件も良いし、家族もそう勧める。
そんな中、日本語教師をやり続けている人たちの情熱はすごい。
ほとんど奉仕(最低賃金法違反)みたい。
その情熱に当たりすぎると、ちょっと、具合悪くなっちゃうときもある。

■日本語教育を期待する企業について。
安い労働力がほしいが、自分たちが外国語を覚えたり、
外国のやり方を理解したくない人たち。
斜に構えすぎかもしれないが大体こんな感じだと思っている。
日本語を話せるアジアの学生達をブリッジ人材とか言ってるけど、
言語をいくつ話せたって別に、自分と違う文化に対して理解があるわけじゃないよね。
他人の意見を受け入れなかったり、社会の常識とやらをまったく疑わない人だっているよね。
ボーダレスとか言うのに、よっぽど国境に惑わされてる会社のような気がする。

■日本語教育を期待する企業の学生たちの評価について。
日本の有名大学の学生のことを「勉強しかしてきてない」、
アジアの国立大学の学生のことを「本当に優秀な学生達」とか言っているのを聞いて、なんだか非常にすっきりしない。
そんでもって、
アルバイトやいろいろな学生団体に所属している日本の学生達を高く評価し、
少なくないアジアからの留学生達が、学業をおろそかにして「アルバイトばっかりしている」ってことを嘆いている。

■日本語教育関係の論文について。
「質的研究」っていう単語がほとんど言い訳みたいに使われていて、
調査人数一桁とか十数人の論文発表がいっぱいある。



何を考えているかっていうと、
私は常に、科学的とか、正しいとか、標準とか、伝統的とか、なんかそうゆうのを疑っていて生きていきたいと思っていたんではないか。
同時にそういう基準が、気になって気になって仕方ないぐらい大好きなんだけれど。

でも、なんていうのかな、いま目の前にしている日本語教育は、ちょっと違う。
だって基準なんてちっとも大事にされてないし、情熱と感情で支えられてる。
(そのように見せているのかもしれない)
それが素晴らしい!って思えない私がいる。

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