2008年9月1日月曜日
『旅のモザイク』
大学の書店での夏休み旅特集とかなんとかで、
平積みにされていたものを迷わず購入。
澁澤龍彦 『旅のモザイク』 河出文庫
南イタリアと中近東と日本(地水火風)の旅エッセイです。
南イタリアはゲーテに触発されて、
中近東は千夜一夜物語を追って、ということで
芸術論や文学論がちらほらと出てきますが、
そのほかの部分は、普通の旅日記。
何を見て、何を感じたか。
私は韓国滞在中に、イスラームの人たちと初めて仲良くなりました。
毎朝6時半に祈祷し、蒸し暑くても長袖のシャツに長ズボンを履き、綺麗なヴェールを被り、
にこにこ笑っている女の子。
異国情緒というのは、とても人惹きつけるものですね。
彼の、シラーズでのジプシーとの遭遇は、きっと
衝撃的で、鮮やかなものであったのではないかなと、妄想がやみません。
石垣島でのホーバークラフトについて、
「走行中のおびただしい水しぶきのため、五十人乗りの船室の窓は密閉されているから、あたかも新幹線の乗客のように、私たちは外を見て楽しむことが出来ない。デッキの上で、海風に吹かれるというわけにもいかないし、珊瑚礁の海の七色の変幻を眺めるというわけにもいかない。これはなんとも味気ないものである。便利と言うのは、ろくでもないものだと思った。」(p.126-127)
と述べていますが、
新幹線に乗りながら、そうそうと頷いてしまったり。
2008年7月12日土曜日
『日記』
『ポルノグラフィア』の訳者あとがきに引用してある、
ゴンブロヴィッチの日記の一節が、気に入ったので。
<<わたしはエロティックでない哲学を信じない。私は非セックス化された思想を信じない……
ヘーゲルの『論理学』は肉体とある距離を保つことなしに着想され得たと考えることはむずかしい。だが、純粋な意識は、再び肉体のなかへ、セックスのなかへ、エロスのなかへと浸られるべきものであり、芸術家は、哲学者を、あらたに魅惑のなかに投げこまねばならない>>
なんてこと。
私は自分の身体から逃げられないこと、
この肉体を持っている限り、
責任を負わなければいけないと思っていたこと。
それを肯定してくれるんですか?
この私は、女という変えられない肉体の中の現象なのだと、思いますか?
この場合、「エロス」とはどう解釈すればよいのでしょうか。
肉欲?物欲?
男と女は、一組で完璧であるということ?
もっと、この著者のことを知りたい。
しかし、もっと問題なのは、
1967年7月の時点で、同じ一節を、
青い万年筆でマークしている人がいるということ。
同じ万年筆でサインもしてあるし。
なんて読むかわからないし。
誰だろう。
もう、41年も昔のことだけど、
こんな素敵な本の上で会えてうれしいです。
2008年7月11日金曜日
『ポルノグラフィア』
大学の図書館で、紙の匂いがする本を発見。
河出書房の人間の文学シリーズの26。
1967年の初版本。
『ポルノグラフィア』 ヴィトルド・ゴンブロヴィッチ著 工藤幸雄訳 河出書房
あれ?
これ、結構いい古本なんじゃない?
『春本』なんて題名の本が、ただのエロ本であるわけがない。と確信して。
装丁もかわいい。
鼻血が出るタイプのエロじゃなくて、
よだれが出るタイプのエロ。
はい。大好きです。
「目の前をゆく彼女の動きは、ある種の方法で少年とかかわりをもっているようにも見える。おなじく群衆にもまれながら、すぐ近くでもがいている彼の体の動きにひそかに答え、ささやきかわすかのようだ。本当に?目の迷いではないか?(中略)
彼女の中のすべてが(彼のために)存在していた。少しはなれて、人びとの間を平静に歩いている少年も、じつは彼女の方に惹かれ、彼女によって緊張している。昂然と、あたりかまわず、しかも落ち着きはらって群衆に混って進んで行く、自分自身に惚れこみ、憧れながらあれほどまで無関心なさま!ああなるほど!そうか!一目見たときから私を圧倒した彼の秘密が、いまこそ分かった。」(p.32)
「私には分かっていますよ、そうすることは彼らにとって、あまりにも完全すぎるから。あまりにも完璧すぎる。
不完全が完全になる、これが鍵です!
偉大なる神よ!あなたは完全そのものだ!だが、あれはあなたよりはるかに美しい、私はこの手紙で、あなたを否定します。」(p.182-183)
「『失礼!sex appealのことを考えていたんです。普通そう呼んでいるものを。二人がいっしょにいるのを初めて見たとき……一年も前ですが……すぐに気がつきました。セックス・アピール。引力、性的引力です。(中略)
いまになって、それがもしかしたら――私の想像以上に、何よりも悪いものではないかと恐ろしいのです。(中略)
二人は地面に倒れた……どうも違う、普通の動きではありません。それからすぐ起き上がった――これも違う。そうして立ち去る、やっぱり違う。あれは何です?何の意味です。ああいうもんじゃありません!』」(p.208-209)
そう、不完全だから美しい。
完全に憧れ、自分の不完全さの魅力に気づかずに、
堂々と不完全を人目に晒している。
こんなにも、人を楽しませている事も知らずに。
その無知もまた美しい。
もちろん古本屋さんに注文しました。
2008年7月2日水曜日
『歯とスパイ』
随分前に、ロシア文学目録として、
沼野恭子の『夢のありか』(作品社)を買った。
巻末の東欧文学の書評の中で、目に留まったのが、
『歯とスパイ』 ジョルジョ・プレスブルゲル著 鈴木昭裕訳 河出書房新社
プレスブルゲルはブダペストに生まれ、
19歳の時、ハンガリー騒乱の際にイタリアに亡命。
ローマにおいて、演劇や映画の脚本、小説で活躍しているようです。
題名と、訳者が<歯覚小説><歯想小説><歯科医小説>と述べたように、
この本のほとんどが、歯、歯磨き、歯痛、抜歯、歯科医に関すること。
この本は、精神分析学会会員(と思われる人物)G・Nの所に、
S・Gから送りつけられた原稿を、G.Nが年代順に整理し、出版したものである。
原稿の著者は、S・Gと友人関係にあるということになっている。
歯の一つ一つは、持ち主の人生である役割をし、
世界(時に神)と主人を結びつける重要なものである。
ある歯は、ある一人の女性への恋心を象徴し、
ある歯は、東アジアの大国の革命家の死を、主人の身体に刻む。
どうやら語り手は、スパイらしいが、どんな仕事をしているかは分からない。
名前も、わからない。
歯痛と治療の合間に、語り手の生活がさし挟まっているような話。
読んでいて、治療済みの歯が痛み出すような話。
2008年5月7日水曜日
『伴奏者』
ロシア・東欧文学熱の冷めていない私は、
本屋に行くたびに、ロシア文学棚へ。
『伴奏者』 ニーナ・ベルベーロワ著 高頭麻子訳 河出書房新社
いわゆる亡命ロシア文学なので、フランス語からの二重翻訳です。
貧しいピアノ教師をしていた母と二人で育った娘、ソネーチカの手記の形をとっています。
音楽院を卒業したソネーチカは、夜中のジャズ伴奏などをして飢えを凌いでいた。
しかし、人気のソプラノ歌手の伴奏者になったことで、ソネーチカの生活は一変する。
ご飯をたくさん食べられる。
飼い猫にミルクを与えている。
暖房の効いた部屋で、ピアノの練習ができる。
サロンや賭博、豪華な人々と生活を共にするソネーチカは、ある野心に燃えていた。
主の信頼、愛情を惜しみなく受け、そして最後に、裏切り、彼らの生活を壊してしまおう、と。
しかし、ソネーチカの願いは虚しく、彼らの世界は彼らによって崩壊するのであった。
「すべてが変った。二年間の生活も、不安も、尾行も、すべてが終わった。そして、成しとげられたことはすべて、私なしで、私の外で、あたかも私など存在もしなかったかのように、成しとげられたのである。…中略…私は片隅で彼らを眺め、彼らの仲間に入ることに憧れ、誰かの何かを台無しにしてやりたい、あるいは、誰かを手伝ったり、その好意によって自己を主張したいと願った。」(p.125)
ソネーチカは必死に、自ら行動し、情報を集め、作戦を練った。
しかし、物語は、彼女と関係なく進んでゆく。
彼女が壊したいと願った世界は、彼女が関われない物語だったのである。
この無力感。
常に傍観者であったソネーチカが、主人公となっている物語。
このアイロニー。
まさに、私が読みたかった、物語でした。
2008年4月7日月曜日
『灯台守の話』
『オレンジだけが果物じゃない』を読んで気に入ったので、買いました。
一緒に買った『アメリカにいるきみ』は、イマイチだった。
『灯台守の話』 ジャネット・ウィンターソン 白水社
盲目の燈台守ピューに引き取られた、孤児のシルバー。
閑散とした港町の外れにある灯台で、闇と一緒に暮らすふたり(と一匹)。
小さな限られた世界。
しかし、海は、果てしなく広がっている。
ピューの物語る膨大な話の中で、シルバーは育った。
「あなたが書いているのは一つの人生についてですか、それとも複数ですか?自分にはいくつもの人生があると、感じることはないですか?」
「それはもう。たった一つきりの物語を話すなんて、そんなの不可能です」
「しかし、そうするべきかもしれませんよ」
「始まりがあって、真ん中があって、終わりがあるような?」
「ええ、まあ、そんなようなものです」
…中略…
「先生はジキル博士とハイド氏のお話を知っていますか?」
「ええ、もちろん」
「つまりね―ジキルにもハイドにもならないためには、両極端のあいだにあるすべての人生を見つけなくちゃいけないんです」(p.170-171)
鬱病患者は、自分がどれだけ辛いかを話すことだけに、全力を尽くす、と言われたことがある。
自分を物語るということが、生きる糧となる。
シルバーとバベル・ダークの物語りは、自分と世界を繋ぎ止める、命綱であった。
生きるために、必要なこと。
そして生きた足跡。
複雑に、いくつもの物語が絡み合った構成。
世界はいつもこんな感じなんだ、と思った。
2008年1月19日土曜日
『ウルトラバロック』
友人から押し貸しされれた写真集。
『ウルトラバロック』 小野一郎 新潮社
「バロック様式とは、もともと『歪んだ真珠』という意味で、ルネッサンスのような正統な様式に対して異端であることから、その名が与えられました。その異端の様式がメキシコに集められた世界中の様式をのみこみながら、さらには古代アメリカの土着の感性とも融合し、建築を隙間恐怖症とでも呼べるように装飾でびっしりと埋めるようになります。これがウルトラバロックと呼ばれるゆえんです。つまり、バロック中のバロック、異端中の異端ということなのです。」
昔から、マヤ文明が好きでした。
石柱にびっしり刻まれたマヤ文字。
多くの装飾品を身につけた神々のレリーフ。
マヤ芸術は、私の美意識に大きな影響を及ぼしました。
その土地で、1000年ほど後に栄えたのが、ウルトラバロックという芸術。
過剰な装飾と鮮やかな色彩は、まさに、3D曼荼羅。
目が疲れます。
磔のキリスト像は、体中の傷口から血がだらだら…
恋月姫の「血の涙を流すルチア像」のモデルとなった、守護神の人形の写真も載っています。
メキシコはおもしろい。
久しぶりに、中学のとき買ったマヤ文明の本を発掘しました。
登録:
コメント (Atom)