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2022年6月28日火曜日

対話の実践における問題

最近やっと、対話がうまくいっていない状況がよく認識できるようになってきた。

長い間、自分の問題でいっぱいいっぱいで、
どうにかこうにか頑張って1日1日生きてきたので、
友人との関係とか、友人が何を考えているかとか、気にする余力もなかった。

最近は、月に1回の産業医のカウンセリングのみで、かなり落ち着いている。
仲の良い友達だけでなく、今一緒にいる人たちと心地よく時間を過ごそうという心の余裕も出てきた。

ただ、成人してから知識としてコミュニケーション方法を勉強したので、経験をうまく理解できないことも多い。
だけれども私は、素敵な友人たちに恵まれて、言語化する訓練ができた。
これまでの、解釈するのに時間がかかった経験を記したいと思う。
記録と、そして自戒のために。


 

・対話が(今)できない
怒っていたり、混乱していたり、
生理的な嫌悪感とか、諦めとかいろいろな理由で私と対話しようとしない人はいる。
嘘ついたり、相手を黙らせようとしたり
対話するフリとかしない分、まともな人だな〜とは思う。
けれど、相手からのアクションがないので、
対話のチャンスを逃さないようにしようと思って、つい追い詰めてしまう。

・言葉が通じない
私はカラオケが好きじゃないしゲームも興味ないし、そうはっきり伝えているのに。
カラオケ行きたい!一緒にゲームしよう!と3回誘ってきた。
どうやって意思疎通したらいいのかわからなかった。
こちらからの「リアクションがあること」に反応しているので、
テンプレやスタンプなど、最小限の返事を続けることが、お断りの意味として伝わる。

・全く相手に興味がない
すごくたくさんわーっと話す、にぎやかな人で、他人に興味がない。
10年来の知り合いで、コピーバンドもやってる人に対して、
「音楽好きなんだっけ!そんな印象ないなー!」などと言っていた。
横で聞いていて、さすがに笑ってしまった。
笑われても気にしていない。

・他人のことを暴露する
「知り合いに紹介する」と言いながら、
単なる私のプライベート情報を人に言いふらしていた。
共通点が見出せないような、変な情報ばかり伝えるので、誰とも仲良くなれなかった。
むしろそれを聞いた相手は引いていた。
そうやって、私を囲い込んで、群れの仲間にしようとしているようだった。
私が仲良くしたい人は私が選ぶよ、と主張したら喧嘩になった。

・分からないことを分かると言う
「ドイツ映画」とか「熱帯フルーツ」みたいな
大きなジャンルの話にはノってくるのに、具体的なことは全く話さない。
違和感があって、相手の考えを引き出そうとしたら、
「うちらの感性が同じなんだよ〜」みたいな言葉で誤魔化された。
仕事や面接じゃあるまいし、知らないことや分からないことを分かっているフリするメリットなど全く無いから、プライベートでそんなことする人いないと思って、油断していた。
いた。結構たくさんいた。

・分からないことを分からないと言わない
私が話していることに、「そうっすね」「まあね」「せやな」「それな」と、
相槌を打っているが、ただ聞き流しているだけ。
分かっていないなら、質問したり、話を止めたりしてほしいのだが、しない。
そういう人と、対話を続けるのは本当に難しい。
何を話したらいいのかわからない。

・関係性を断定する

「私たち親友だよね」
「ビジネスパートナーじゃなくて、友達関係になりたい」とか言う。
判断基準がわからなくて困った。
文字だけ見ると、セフレの別れ話っぽい。趣がある。

・怒られることに慣れすぎている
話をするつもりはあるが、
相手の発言を、ほとんど「責められている」「怒られている」と受け取る。
かつて私もそうだった。
「頭良いね」と言われたら、二言目にはののしられると思って身構えていた。
でも、私には他の人の問題は解決できない。

・相手を試す
料理とかお酒とか、明確に好みがあるのに「オススメありますか」と言う。
「あなたが私に食べて欲しいもの」と言って料理を注文している人もいた。
リクエストではなく、ただ相手を試しているだけなのだが、失礼なことだと思っていないようだ。

・自分の「言いたい」欲を満たすために言葉を使う
「体、重そうですね」とか「剛毛ですね」とか、わざわざ本人に言う。
「背、高いね」とか「肌、白いね!何か特別なことしてるの?」とかとも似ている。
言ったらダメだよ、といわれていることを果敢に言う。


2018年9月10日月曜日

対話とは、多分私が経験したことのないもの。合コンみたいな。


差別に苦しんでいる人や、社会システムで不利益を被って怒っている人に
「冷静になれ。その方法じゃ誰にもあなたの悩みは伝わらないよ」とか言ったり、

結婚したくて、恋愛市場での自分の価値をあげるために頑張っている人に、
「そんな、他人に点数つけるような人たちがおかしいよ」とか言ったり、

自分がゲイだって絶対に、親にも友人にも職場の同僚にも言えないと悩んでいる人に
「そんなの悩む必要ないよ。何か資格とって都会で就職したら?」とか言ったり、

なんらかの理由で、十分な教育を受けられなかった人に、
「頭つかえよ。ニュース読みなよ。」とか言ったり、

周りの男性に30年以上馬鹿にされ続けて、すっかり内面化してしまった女性に、
「怒らないとだめだよ!ちゃんと上申しないと!」とか言ったり、

なんでそういうことが起こっちゃうんだろうと思ったけれども、
それって本当に、ただ、相手が見ている世界や環境を知らないだけなんだ。
自分が見えている世界と、全然違う世界があるということを、認知できていないだけなのかもしれない。

対話ってなんだろうと考えれば考えるほど、
「私は、対話を、したことなかった」と思うし、
対話が成立している状態はこうです、とは、説明できない。

対話とは、そういうことなんだ。
「ほんと、まじ意味不明」「なんでそんなこともできないのかな」って思うような人と、
フラットに話しつづけられるかってことなんだ。
「戦争と暴力を終わらす方法は、唯一、対話だ」とは、
私の大好きなアンジェイ・ワイダ監督の映画から学んだことだけど、
ただ、叫ぶだけではない。怒るだけではない。


なんで、私が、今、気付けたのかというと、
読書会というものを数年間主催していて、
そろそろ気づくべき時が来た、というのもあるが、
人生で初めて”合コン”に参加したというのが、会心の一撃だと思う。

私にとっての合コンは、
「私の知らないルールで、私には認知できないカードを、
男女が切った張ったやっている。
私には、自分の手持ちのカードすら、認知できない。
日本語を使ってはいるが、たぶん言葉の意味がまったく違うので、
ほぼ、お互いに言っていることの意味が、伝わっていない。」

そう、よくわからない領域の学会発表に来てしまった感じ。

それまでは、私は、冗談で
「私の周りには、自民党支持者は居ないんだけどな」とかすら言っていたのだが、
それが、自分と似た人とだけ関わってきた、という
「かなり深刻な状況」を表しているんだとは、正直、思ってもいなかった。

むしろ私は割と、異文化コミュニケーションを学び、海外出張とかもあり、
飲み屋のゴルフコンペとか異業種飲み会とかNPOとかで、
いろんな人に会ったり話したりしているつもりだった。
異文化っていうのは、そんなところにはなかった。
全く認知できないものだった……。


あと同時に思うこと。
女性の社会進出とか、多様性の尊重とか、民主主義とかって、
国際社会における日本の評価にも繋がるし、
実際それに困って苦しんだり自殺してしまう人もいるし、
この問題は、むしろ気づいていない人の方が深刻。

以上のことを考えると、
振り込め詐欺や客引き詐欺と同じように、
「学校が、下着の色を指定することはありません。すぐに児童相談所にご連絡ください」
とか
「育休申請を理由に、減給することは違法です。お近くの労基にご連絡ください」
とか
住宅地やオフィス街を巡りながらパトカーで広報するとか、
商店街で、15分に1回、注意喚起するアナウンスを流し続けるとか、
そうやって対処しなきゃいけない問題なんじゃないだろうか。


2016年10月31日月曜日

ポートフォリオと認知療法と『キンキー・ブーツ』について



1、ポートフォリオ
教育界では何年も前から「ポートフォリオ」の必要性が叫ばれていました。
ポートフォリオって、そのままの意味だと、書類入れとかファイルのことです。
文脈によって表すものが大きく違うのですが……

アートの分野では、作品集みたいな意味で、自分が今までに作った作品をまとめて、履歴書のようにバラまくもの。
金融業界では、運用資金の投資した先の、その割合や組み合わせのこと。
スポーツ界では、練習の目標や、今のスコア、自分の課題などを書き込むノート。『野球ノート』や『サッカーノート』などの名前で部活動をする生徒たちの間に広がっています。
教育分野では、学習の過程の成果物(読んだ新聞記事や、レポートや、発表資料などなんでも)をまとめておくもの。
そのほかにも色々な意味がありますが、今回は教育分野について。

なぜか、教育界では、このポートフォリオ、いまいち人気がありません。
2012年ぐらいにいろんなところで目にするようになりましたが、あまり広がっていないようです。
本当に効果があるの?という先生方の声をよく聞きます。
というか、私、納得いく説明を聞いたことがない。

しかし先日、東京学芸大学の森本康彦先生の話を聞いて、目から鱗が落ちました。
学習のパラダイムシフトが(やっと)起こっている!!!ということ。

ポートフォリオは、絶対的な正しさ、絶対的な知識がない分野で、効果を発揮します。
現代社会は、価値観が急速に変化し、そして多様化してゆきます。
毎日毎日新しい技術、新しい思想、新しい文化が生まれてゆきます。
一つのコミュニティーで一生暮らす人はほとんどいません。
生まれたコミュニティーで身につけた価値観や行動規範に、ずっとすがって生きることはできません。
自分と異なる価値観を持った人たちと出会う中で、自分の価値観を確立してゆく必要があります。
今の子供たちは小さい時から、毎日異文化に接しています。
学校を卒業した後も、50歳になっても60歳になっても学び続けていかなければなりません。
教科書はありません。試験もありません。だれも採点してくれません。だれも答えを知りません。
そんな中生きて行くために必要なのは、「学び方」を知っていること。

この「学び方」を知るための道具がポートフォリオです。
学んでいる過程というのは、外から見ていてもわかりません。すぐに消えて無くなってしまうものです。
それを注意深く記録しよう、という試み。
それがポートフォリオです。


2、認知療法
大学で就活が始まる時期から、どんどん友人たちが病んでいきます。
社会人6年目になっても、またお前もか…ってぐらいの勢いで病んでいきます。
日本はどうなっているんだ。なんという社会だ、と時々嘆いたりするんですが、
私が一人で嘆いたって世界は変わらないのです。

そんな病んでいく人たちにお勧めしたいのが、認知療法、認知行動療法です。
微妙に違うらしんですが、発想は同じ。やることもだいたい同じ。
事実と感情を、切り離して考える訓練をします。

みけにゃんProject

上記のサイト、結構古いし、語尾がムカつくんですが、わかりやすいと思います。
あと、別にこのサイトに書いてあること全部しなくてもいいんです。
とにかく、辛い自分の気持ちと、それを引き起こしている事実を分けて、書き続けること。

そしてちょっと落ち着いている時に、過去の自分のメモを読んでみると、
そうかこの時こんな感情になったのは、もしかしてあれのせいかもしれない、とか。
なんだこれ、これっぽっちのことで死にたいとか思っていたのか…とか。
自分の認知の癖や歪みが見えてきます。
自分の頭の中にある感情を、整理する道具になります。
そして感情をコントロールするためのきっかけを、知ることができます。

最初は何を書けばいいのかわからなくて、誰に見せても100点満点の、気持ち悪い日記になると思いますが、
慣れてくると、誰にも見せられない、大切な自分だけのノートになります。
これだよね、ポートフォリオ!!!
自分の中の思考の変化、成長の過程、トライ&エラーを記録してゆくもの。





3、『キンキー・ブーツ』
大好きな映画『キンキー・ブーツ』のミュージカル版、9月に日本人キャスト、10月に来日版、見ました!

感想は長くなるのでここでは触れず…。
とっても素敵な台詞がこちら。

You change the world when you change your mind.

認知を変えれば世界が変わる、ということ。
この言葉を改めて、噛みしめています。
今、努力して異質なものを受け入れても、次にまた新しい異質なものが登場します。
常に世界が変わるということは、常に自分の意識も変えていかなきゃいけないってことなんだなぁと。
そうしないと「男」とか「女」とか「日本人」とかいう危ういアイデンティティーにしがみつく人たちと同じになってしまう。

つながりが希薄、とか言われている現代の若者たちだけど、大丈夫。
教育は、「自分と隣人の価値観が違う」状態でも生きてゆけるように、準備している。
ポートフォリオ、すごいんだよ!

2016年10月9日日曜日

未来の日本語について考えていることメモ

・第四、五言語で勉強したい人たちを増やす
・カタコト日本語をどれぐらい許容できるか

平成27年国勢調査で、日本の人口の減少が報告された。もう日本語を第一言語とする人口は、たぶん増えない。
っていうか、国勢調査は外国人も入っているから、もうだいぶ前から減少しているんじゃないかな。
これから、日本語を第一言語とする人は急速に減ってゆく。
じゃあ、誰が日本語を話すの?


日本語を第二言語として勉強する人が増えるかしら。
いや、そこは英語がやっぱり強いだろう。
母語で高等教育を受けれない人たちは、英語を勉強するし、
英語で書かれた教材はネット上に、あふれている。
もう日本の大学に行くために、日本の会社に就職するために日本語を勉強する人はどんどん居なくなる。

日本語を第三言語として勉強する人が増えるかしら。
いや、それも、中国、台湾や南米の言語が強いでしょう。
仕事もあるし、母語話者と出会う確率も高いし。

これから日本語が学ばれるのは、第四言語ぐらいなんじゃないかな。
日本語でマンガ読んでみたい。
うちのおじいちゃん日本人らしいんだよね。
昔、日本に旅行に行ったことがあって、楽しかったなー。
とかそういう人が勉強する。

問題は、日本語母語話者のほうにあると思う。
片言の日本語をどれだけ許容できるか。
日本人らしからぬ言葉をどれだけ受け入れられるか。

かつて(今も?)英語母語話者が抱えていた問題と同じ。

2015年10月30日金曜日

科学とか基準に対する愛憎

お仕事で日本語教育にかかわってきて、もやもやすることがよくある。

■日本語教師の待遇について。
不思議なことだが、国内でも海外でも、
日本語教師の給料は、だいたい英語教師の半分らしい。
原因は、無料で日本語を教えるボランティア精神旺盛な日本人が世界中に存在すること!
通訳とか日系企業に勤める方が、条件も良いし、家族もそう勧める。
そんな中、日本語教師をやり続けている人たちの情熱はすごい。
ほとんど奉仕(最低賃金法違反)みたい。
その情熱に当たりすぎると、ちょっと、具合悪くなっちゃうときもある。

■日本語教育を期待する企業について。
安い労働力がほしいが、自分たちが外国語を覚えたり、
外国のやり方を理解したくない人たち。
斜に構えすぎかもしれないが大体こんな感じだと思っている。
日本語を話せるアジアの学生達をブリッジ人材とか言ってるけど、
言語をいくつ話せたって別に、自分と違う文化に対して理解があるわけじゃないよね。
他人の意見を受け入れなかったり、社会の常識とやらをまったく疑わない人だっているよね。
ボーダレスとか言うのに、よっぽど国境に惑わされてる会社のような気がする。

■日本語教育を期待する企業の学生たちの評価について。
日本の有名大学の学生のことを「勉強しかしてきてない」、
アジアの国立大学の学生のことを「本当に優秀な学生達」とか言っているのを聞いて、なんだか非常にすっきりしない。
そんでもって、
アルバイトやいろいろな学生団体に所属している日本の学生達を高く評価し、
少なくないアジアからの留学生達が、学業をおろそかにして「アルバイトばっかりしている」ってことを嘆いている。

■日本語教育関係の論文について。
「質的研究」っていう単語がほとんど言い訳みたいに使われていて、
調査人数一桁とか十数人の論文発表がいっぱいある。



何を考えているかっていうと、
私は常に、科学的とか、正しいとか、標準とか、伝統的とか、なんかそうゆうのを疑っていて生きていきたいと思っていたんではないか。
同時にそういう基準が、気になって気になって仕方ないぐらい大好きなんだけれど。

でも、なんていうのかな、いま目の前にしている日本語教育は、ちょっと違う。
だって基準なんてちっとも大事にされてないし、情熱と感情で支えられてる。
(そのように見せているのかもしれない)
それが素晴らしい!って思えない私がいる。

2015年7月6日月曜日

あなたの考えは古いと言いたい。言えない。

コミュニケーションについて悩むシリーズ。
第1弾→相談が苦手でオタク気質な私の話し方トレーニング
第2弾→人間関係を悩み続けてみる(5ヶ月目)
第3弾→エポケー(判断保留)とエンパシー(共感)について

以前ちょびっと書いたように、現在児童養護施設で学習支援をしているが、そこの方針に、全く気に入らないものがあるので、悶々としている。
賛否両論あるので、これから1年かけて、方針を決めなおすらしい。
ボランティア団体には、参加して1年未満だが、うまい感じに、方針を変えたい。
方針が変わらなかったら、このボランティア団体を辞めたいぐらいだ。


■気に入らない方針
スマホ、パソコン、電子辞書などを使った学習は、自粛するように。


■この方針がある理由
子供たちは、機械ばっかりに興味が行って勉強をしなくなる。
機械で子供たちを釣るような行為は、このボランティア団体の活動方針にそぐわない。
全員分のスマホ、PC、電子辞書を用意できるわけではないので、子供達の中に不公平感がでる。


■私が考えていること(未整理)
この方針には、「スマホ、パソコン、電子辞書は便利な道具。使い方が大事」って発想がまったくない。

正直ですね、今のご時世、「わー、パソコンいいなー私も使いたい!」「スマホかして!かして!」とか言ってる小学校高学年、中学生の方が珍しいんじゃない?
みんな、日常的に親のスマホ触っているし、小学生向けのプログラミング教室があるぐらいなんだから。

っていうか、大人が普段使っているものを子供が使ってはいけない理由って何?
危ないの? 私たちは危ないものを日常的に使っているの?
危ないけど、「便利」の方が勝るから使っているんでしょ。
便利なら使わせるべきだし、危ないなら危なくない使い方を教えるべきなんじゃない?
その危ないものの使い方を、「高校生になったらバイトでお金ためて、欲しいものは自分で買って、自分で体張って学びな」っていうのはおかしいよね。

スマホ、パソコン、電子辞書の話になったら、急に平等にとか言い出すのおかしくない?
子供たちそれそれの歩みがある。学校教育ではサポートできないところを云々、とか言ってたじゃん!
全員分用意できないことなんて初めから分かってるし、PCに興味ない子供だっているでしょ。
子供たちの興味に、こちらが合わせられるだけでいいんだよ。

子供たちが「スマホ、スマホ」言ってたってな、
スマホで何ができるか知らないんだよ!まず使わせて、何ができるか体験させなきゃ!
IT教育は、それからだ。


■どうしたいのか
リーダーと喧嘩するつもりもないが、「おかしいと思っていること」を伝えたい。
できれば、ルールを変えたい。
まずは、相手の考えを探ろう。徹底的に考えよう。


と、もやもやしていたら、
先週「小学校の英語はお遊びみたいなものだから、教えなくていい」と言われた。
なんというアナクロニズム!
今、私が担当している小学5年生は、英語でお話ししたくて仕方ないのだ。
この好奇心と、エネルギーを無駄にしたくない。
正直絶望している。もうルールなんで無視しようかな。

2015年5月7日木曜日

エポケー(判断保留)とエンパシー(共感)について

コミュニケーションについて悩む第3弾。
第1弾→相談が苦手でオタク気質な私の話し方トレーニング
第2弾→人間関係を悩み続けてみる(5ヶ月目)


シンパシー(同情)エンパシー(共感)に関しては随分前にも気になっていて、どこかにメモっていたはずなんだけれど、どこだったかしら。


最近、特に会社の上司・先輩から「すごく変わってきた」「急に気持ちよい会話ができるようになった」「メールの書き方が変わり過ぎてビビった」と言われている。
なんだか自覚症状もありまして、人の会話を聞いて「この方法じゃ伝わらないよ…」「あーこの人なんでこんな方法で言っちゃうのかな」と思うことがあった。以前は、思ったことは何でも言えば良い派だったのに…
そのとき思い出したのが、エポケー(判断保留)とエンパシー(共感)のこと。

私は、シンパシーを感じる(同情できる)人にとはすぐに仲良くなれるけど、シンパシーを感じない(同情できない)人とはなかなかうまく距離感が測れない。不配慮に「気にしすぎじゃない?」「私ならそんなことしない」とか言ってしまう。
シンパシーを表明しすぎてどん引きされることもあるのに、他人のことには興味が無いのねとか、冷たいとか、無反応だとか言われることが多かった。


そんな時はエポケー(判断停止、判断保留)とエンパシー(共感)を考える。
相手の話を私がどう思うかではなく、
「私と違うこの人は、何のためにこの発言をしたのかな」
「私と違うこの人は、今どんな状況にいて、私の言葉をどのように受け止めるかな」
とかそういうの。

シンパシーとエンパシー|Good News Collection

エンパシー(共感)とシンパシー(同情)|八代京子、荒木晶子 著『異文化コミュニケーションワークブック』

エポケー(epokhe)|日本語教師のページ

相手の話を聞く──エポケー|八代京子、荒木晶子 著『異文化コミュニケーションワークブック』

読んでないけど、たぶんこれもそんなことを書いてあるはず。
平田オリザ著『わかりあえないことから──コミュニケーション能力とは何か』


「この会話で何を成し遂げたいか」がはっきりある人と、見失っている人のコミュニケーションは、すぐ分かる。
瞬発力と直感で、ガンガン議論して熱のこもったやり取りする前に、一歩立ち止まって、ゆっくり相手を見ることが大事。そう考えると相手の目をみるのも怖くなくなってきた。
私もここまで成長しました(涙)

コミュニケーション能力というのは、相手に媚びたり、嘘を言うことではない。
相手が求めている応えと、相手に伝わりやすい言い方があるだけ。

2015年3月23日月曜日

人間関係を悩み続けてみる(5ヶ月目)

昨年の日記でも若干書いたが、
私は最近、やっと、まともに人との関わり方を悩むことができるようになった。
さて次は、
人間関係をどうにかしなければならない状況に自分を置く、ということを考えた。
スパルタ英会話みたいに。

選んだ方法は、児童養護施設の学習支援ボランティア。

もともと、そんなにお金も持っていない自分が社会に還元できるのは勉強方法だけだと思っていたので
日本語教育とか学習支援のボランティアをやろうと考えていた。
しかし、自分のコミュニケーション能力に全く自信がなかったので「今やるべきじゃないだろう」と思っていた。
去年冬、ついに、ええい、やりながら悩むべし!と決心したのです。


人間関係を悩み続けてみる5ヶ月の感想を記しておこうと思う。 
① 5年やっても、40年やっても、人間関係を悩む
② 制限が多い時こそ、自由な意見が必要

ひとつめについて。
ボランティアは、毎回毎回、こどもたちとの関係に悩んでいる。
ボランティアは、こどもたちがどんな理由で、どんな予定で、児童養護施設で暮らしているのかを聞くことは無い。
自ら話してくれるこどもも居るらしいが、
ほとんどの場合、嘘だったり、良く脚色されているので信じないでください、と説明を受けている。

活動の後は必ず反省会で、子どもたちの様子を共有する。
「1時間、ひと言も話してくれなかった。」
「しぶとく待っていると最後の5分だけ、話をしてくれた。」
「機嫌良くずっと漢字を書いていた。」
「興奮状態で、椅子にも座らなかった。」
「最初はニコニコしていたのに、算数の問題を間違えてパニックになってしまった。」

こどもたちの状態を共有する目的もあるけれども、ボランティアの人たちの悩み、気になるところを共有している部分も大きい。
「嬉しかった。」
「どうしたらいいのか分からなかった。」
「びっくりして返事できなかった。」
「なんて話しかけてよいのか分からなかった。」

この欠席厳禁の反省会は、ボランティアのメンテナンスなんだ。


ふたつめ、制限が多い時こそ、制限なく、思っていることそのまま共有することの重要さ理解できた。
ボランティアを何年も続けている人も、何とか定時で退勤して施設に通っている。なので仕事理由の欠席率も高い。
もちろん運営資金もあまりない。

イベントの反省会で、発言を躊躇することがあった。
「こんな状況で、こんなこと言ったら引かれるかな。」
「空気読めてないって思われるかな。」
良く思い出せば、会社の会議でも、そのほかの打ち合わせでも、そう思って言えないことがいっぱいあった。

「みんな、なんとか週2時間、ボランティアの時間を捻出しているのに、こんな準備に時間がかかるイベントやるつもりか!」
「この人は、本当にこの予算集められると思っているのかな」
人の意見を聞いて、こんな風に思うこともあった。

そうではなかった。
それは後で考えればいいんだ。
思ったことを何でもとか、どんな意見も、っていうのは、
外的な制限がない、目的達成のための自由なアイディアや理想を共有する場であった。

これからどのように環境が変わり、制度が変わり、スタッフが変わり、予算が変わるか分からない。
変わらないのは、目的だけ。
不確定要素が多く、制限の多い状況こそ、自由な意見が必要。

2014年11月4日火曜日

相談が苦手でオタク気質な私の話し方トレーニング

小さい頃から私は、人間関係を築くのが苦手です。
「お前の話には結論が無い」
「お前は自分のことしか話さない」
「そうゆう話は今聞きたくない」とずっと言われ続けていました。

私の一言で、場がシーンとなることを何度も経験しているので、
いつも、どうにか、この会話が盛り上がって欲しいと考え悩んできました。
決して、自分のことを知って欲しいと思っているわけじゃない。
自分の話も、自分の居ない場所で盛り上がるなら、自由にモラルとか無視して盛り上がってくれれば良い。
自分の仲間を増やしたいわけじゃない。

結構悩んでいろんな本を読み、
カウンセリングを受け、認知療法を続け、
社会人になってからは、クラブとバーをはしごし、イベントに通い、無理に人と話す機会を作り、
自分の話し方の癖を理解しようと、何年も試行錯誤していました。

いろんなアドバイスを聞きました。
家族や上司に「相手の気持ちを考えれば、当然分かるはず」と何度も言われました。
おかげで常に、人の顔色を伺い、アドバイスもクレームも言えない人間になりました。

ついに、上司の叱咤と効果があるのか分からない試行錯誤の中で、解答がみつかりそうだったので、忘れないように、メモしておきます。

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大事なのは、相手が何を知っていて、何を知らないのかではない。
「相手が何を知りたいのか」である。
話に含める、自分が見た事実と、自分が抱いた気持ちの割合は、相手に合わせてコントロールできるのが理想だ。
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■「お前の話には結論が無い」とはどういうことか。

おそらく、この結論とは、起承転結の「結論」ではない。
「なぜ私がこの事をあなたに伝えるのか」という情報のことだ。
私の話は、物事の過程や状況の詳細ばかり話していて、それに関連した将来の展望が語られていない。
それは例えば「たのしかったので、また行きたい」とか「嫌だったので、二度と行きたくない」という刹那的な気持ちだ。

これが無いと、自分の身の回りの出来事を聞き手に追体験させるだけである。
社会人はそんなに私に割いてる時間はない。会場までの道順や、床の素材や正確な気温などは、メールで、対面しなくても伝えられる。
数分間の報告で私が何を優先するのか、「楽しかった」「つらいかった」「希望を見出した」のかは、対面で言葉にしないと正確に相手に伝わらない。
気持ちは変動するので、その瞬間にしか報告できない。これが貴重な情報である!

■「お前は自分のことしか話さない」とはどういうことか。

人の意志決定や価値判断に、関与したい、という人間は多い。
自分が他人に影響を与えたということは、一般的に喜ばしいことだ。

自分がどれだけ、目の前の事象に詳しくて最善な判断ができると自負していても、ひとりで判断してはいけない。
その判断が、結果的に、良いとされても悪いとされても、その判断に複数人の意見が反映されているということが、重要。
相談とは、正しい選択をするために行うのではなく、自分の判断や将来の展望に、他人を関与させる行為である。
相談という行為は常に、正しい。
なぜなら社会は戦場ではないし、失敗が許されているから。

■「感情表現が無い」とはどういうことか。

「人が、事実をどの程度理解しているか」は、その人の知識量ではなく、反応で相手に伝えることができる。
自分がどれほどの知識と状況判断の材料を持っているかよりも、
「ありがとうございます」「すみませんでした」という発言の方が、「自分が状況を良く理解している」ということが相手に伝わる。
この事実に対する気持ちの反応についての表現は、あり過ぎて怒られることは、ほとんど無い。
「そうゆう話は今聞きたくない」と言われる時は大抵、感情表現が抜けている。



これプラス、テクニック。
まず大きい概念を話してから、具体例を話す。
良い話を伝えてから、悪い話を言う。ライフハックみたいなやつ。

2012年8月26日日曜日

喬太郎パニック



会社の他部署の先輩に誘われて、落語鑑賞デビューしました。
落語は全く分からないけど、プログラムを見るだけでこれは豪華だ!と感じる、まさに祭り。
鈴本夏祭り。

「夕方から入れるけど、遅くとも19時の喬太郎までに来てね」と言われたものの、出張の準備でぎりぎり18時40分に到着。すでに立ち見多数。
馬石の噺の途中で、図々しく着席した茶髪は私です。ごめんなさい。なんかいろいろ必死だったんです。
番組は、喬太郎は「稲葉さんの大冒険」。さん喬は「明烏」。権太楼は「死神」と。
噺を解説するなんて野暮な事はしませんが、新作、古典、怪談と、まぁ素人には豪華すぎるラインナップで、もうなんだか新しい世界を見た!感動!
余韻に浸りふらふら。先輩と飲み歩き。


ついに私も本物の芸人見たーふふふ、
と誇らしげに名古屋出張に行くと、喬太郎と桂あやめの対談の案内が。
残念ながら見ることはできませんでしたが、
翌日、会場近くのカフェで「喬太郎よかったよー」と言う男性の声に、心拍数が上昇。


東京に戻ったら、すぐに別の先輩から「喬太郎好きなんだって?」とお声がかかる。
なんとお世話になっている夫妻から、喬太郎のチケットを譲り受けたとの事。行きますと即答し、その夜、6日ぶりの喬太郎の噺。わくわく。




大勢の前ではっきりと話をする、というのは、おそらく多くの日本人が不得意とする、最難関の言語運用能力です。しかも、聴衆を笑わせる、怖がらせる!
なんという芸能だ、と感動した次第です。

「欧米の言語は〇〇だけど、日本語は××だ」という言説はよく見かけますが、大抵ウソです。日本語だけ特異、なんてことはありません。その主張が耳障りが良いのは、母語への執着です。
「欧米の言語は話し言葉が中心だけど、日本語は書き言葉が中心だ」というものも当然ウソ。話し言葉より、書き言葉を先に覚える子どもなんて見たこと無いし、日本語だってしゃべる為に発達して来たのです。目の前にいる人に伝える為に。
文字はその後。

はー。今回の落語でそれを実感。
よかった。言葉というものは、紙なんか媒介しなくてもよいんだ。
そしてせっせと、トークイベントに参加申し込みを送る日々です。