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2026年6月16日火曜日

自分が住んでいる自治体の男女平等推進委員になった。

男女平等推進委員は、各自治体によって、男女共同参画推進会議、男女平等プラン推進会議とかいろんな名前で設置されているもの。

「区民公募」とか「市民公募」とかで検索したほうがいい。

実は数年前から狙っていたのだが、ウェブサイトにも自治体からのお知らせにも全然情報を見つけることができずに年月が過ぎた。

昨年たまたま自治体の施設にあるチラシ置き場で募集チラシを見つけて「やっと見つけた!」と、応募。



■住んでいる町のヤバさを認識

そもそも、私の住んでいる町はジェンダー平等とか本気で取り組んでいない。

5年前に転入するときに、役所の窓口で「今後結婚して、私の苗字が変わる」前提で説明を受けて、意味不明すぎてクレームを入れたぐらい。

2年前まで、公立小・中学校で男女別の名簿を使っていたらしい。

当然パートナーシップ条例もない。


私は、東京の渋谷区や港区、福生市、清瀬市、国分寺市などなどで、ジェンダー平等について話す活動や、女性やLGBTの物語を読もうとかそういう活動に参加してきた。そうした経験を、自分の住んでいる町に還元したいなと思うようになった。

自治体の男女平等推進課の職員との面談でそんな話をした。

そしたら、職員のひとりが「渋谷区さんは、ちょっと変わってますからね」と鼻で笑った。


最悪すぎて、やばい。


しかも、フルタイムで働いていると連絡取れなくて厳しいかも〜みたいなことを暗に言われた。感じ悪い。


■ヤバいのは自治体だけではなかった

絶対断わられるだろうなと思っていたら、受かった。

ということで、2026年4月に自分が住んでいる自治体の男女平等推進委員になった。


顔合わせ会議の資料に、毎年1回開いている講座の講師候補のリストが添付されていた。

最初の議題は、講師候補を決めることらしい。


このリストがヤバイ。

野球監督(もちろん男性)、お笑い芸人(男性、しかも今のテレビ文化に合わないのでYoutubeに移行して昭和のお笑いやり続けてる人)、テレビのコメンテーター(白人男性)、元アイドル(女性)などなど20人ほど。女性は、夫か父親とセットで名前が掲載されている。


こんな性差別的なリストをどうやってつくれるんだ。

もう正直、辞退したいと思った。

でもどんな奴がこんなリストを作ったのか見てみたいと思い、顔合わせに参加。


そこで、リーダー役の一般男性が、通常2年間のこの委員に、10年以上継続してなっているということがわかった。

そしてこの男性、当然、男女平等がなんであるかまったく意味がわかっていない。

さらには、彼が、これまでずっと、知り合いをこの委員会に誘ってきたとのこと。


え? そんなことある? 自分がなにも貢献できない会議に10年参加している?


「男女平等推進を内部から崩壊させてやろう」とかそういう意図があるんじゃないかと陰謀論めいたことが頭に浮かぶ。イデオロギーの戦いなら負けられない。


■毒を食わされているような会議

職員の「あまり男女平等の内容の講演をしたことがない方は、講師候補から外したい」という素晴らしく普通の声がけで、委員がいろいろおしゃべりする。


ひとりが「男女平等って、男の人たちのために必要なんじゃないか」という。

ものすごい高度な議論がはじまるのかと思ったら、自治体の予算を女だけのために使うのは男性から不満が出るのではないか、というお話だった。

いろいろごちゃごちゃ話したが、「こういうイベントは、男性向けに企画しても集客できない。女性が、家族の男性を連れてくることを狙おう」ということで決着した。

もう同じ机についていることすら厳しい。


講師にどんな内容を話してほしいか、という話題になったとき、

有名ドラァグクィーンのYoutubeにはまっているという方が「彼女みたいな人のために、女らしさと男らしさは必要なのだ」と発言した。

もう1人も「女性らしい美しい所作は、江戸しぐさとか、いろいろありますからね」と同調する。

他の人が、かつてゲイ疑惑で芸能界を引退した俳優の名前を出して「アッチの人の間は、彼がゲイかどうかわかってたらしいですね」とかいう。

だから、女らしさ、男らしさ、ゲイらしさはどれも素晴らしいのだと。


全てが間違っている。


この会議は、体に悪い。


その夜は、ひさしぶりに吐くまで酒を飲んだ。

2021年8月29日日曜日

李琴峰作品の潔癖さについて考えたことメモ

この文章を書いているのは、
日本国籍を持ち、日本語を第一言語として育ち、
上京して正社員として働いている、修士号を持つ健常者である、
ということを念頭にお読み下さい。

李琴峰作品には、ザラリと残る後味がある。
ポリティカル・コレクトネス的正しさとか、正義感が強いとか、
説教くさいとか、綺麗事だとか言うこともできると思う。
これについて、うまく説明できないでいた。
李琴峰ファンとして、彼女の言葉を聞いたり読んだりして、
いま、やっと説明できそうなので、ここにメモしておく。

1、差別に理由はない
2、マジョリティの特権は認識しにくい
3、差別の中から生き残れるのは、ラッキーな人たち





1、差別に理由はない

「人権は大事だ」とよく言われているということは、つまり、
私が生きている社会は、人権が大事にされていない社会である、と思う。

日々の生活の中には「あ、私今、相手から大事にされてない」とか、
「勝手にカテゴライズされて笑われてる」とか「理不尽な目にあっている」と思うことが多い。
タクシーの運転手に、答えたくないプライベートな質問をされた時や、
自分の意見が全く反映されていない議事録を読んだ時や、
ニュースアプリに登録したら女性だというだけでアパレルのプレスリリースばっかり届いた時や、
保険屋や不動産屋が、自分の希望を全く無視した商品を紹介してきた時や、
趣味を他人に笑われた時や、
甘いものが嫌いなことを「意外だ」と言われた時や、
血液型占いなんかを引き合いにして「O型っぽい」とか言われた時などが、そうだ。

李琴峰作品の登場人物は、賢く正しい。そして差別されている。
この2つは両立する、ということをしっかり理解する必要がある。
差別してもいいとカテゴライズされてしまった人たちは、
ただ生きているだけで、犯罪者とされたり堕落者とされてしまう。
差別する理由などないし、あってはいけない。
このことを書き止めているのが李琴峰作品だと思う。


2、マジョリティの特権は認識しにくい

自分がマジョリティに所属していることは、非常に認識しづらい。
これについては、上智大学の出口真紀子教授の記事が素晴らしいので、下記をご確認ください。
https://www.jinken-net.com/close-up/20200701_1908.html

そして、差別しているマジョリティを認識するのも、同様に難しい。
以下に自分の体験を記しておく。

私が学生の時から、東京出身者による、
千葉や埼玉、北関東や、東北出身者への侮蔑を目にしていた。

私は長く、千葉・埼玉・北関東・東北出身者の特徴だと思っていた。
「何で茨城の人たちはこんなに、卑屈なんだろう…?」
「埼玉の人たちがいうダサイタマって何? 私そんなこと言ったことないのに…」
「なんで自分の出身地をそんなに卑下するんだろう?」などと疑問に思っていた。

東日本大震災のときも、そう思っていた。
震災から1年後、福島県出身の友人2人が、
最近2人だけで頻繁に会っているらしいと、耳にした。
「福島出身者だけで話したいことがある」という理由だった。
その時私は、身勝手にも、仲間外れにされて嫌だなと思った。

ほとんど東京に出荷するために農作物を作り、電力を作ってきたのに、
原発事故が起こると、「汚染されているから要らない」と拒否される。
この問題も、私はどうしても差別と結びつけることができなかった。
多くのメディアや識者は、きちんと理解し発信していたと思う。
だけど私はよくわからなかった。
なぜなら私は、
卑屈で劣等感が強く差別され続けている人々をたくさん見てきたけれど、
差別している東京の人を認識していなかったからだ。

李琴峰作品に強い正しさを感じるということは、
自分の、無知でいられるマジョリティ特権を指摘されて不愉快だからだと、考えられる。


3、差別の中から生き残れるのは、ラッキーな人たち

差別する理由がないのと同様に、
差別されている人が生き延びるのにも、理由はないと思う。

理不尽な目にあったり、侮辱を受けた時に、
自分を癒し、また明日も生きようと思うためには知識が必要だ。
きちんとした知識を得るためには、
それなりの収入と、健康な精神と、文化的な経験も必要だと思う。
それよりも大事なことは、運が良いことだと思う。

運良く素敵な友人に出会えたことや、
幸運なことに自分の居場所があると感じることができたり、
幸いにして良い大人に出会えていたりすることなどである。

李琴峰作品は、差別から生き残ることができそうな人々を描いていると思う。
だから、運が良いのだ。
運が悪い人は、差別を受けたら生き残れない。

2019年2月5日火曜日

百合部ミーティングと『女子BL』のおかげで、腐女子と百合男子の理解が変わった。

ごめんなさいと、最初から謝っておきます。
申し訳ありません。愚かな考えでした。



私、「萌え」って、ある種の支配欲、みたいな感情だと思っていました。
その言葉が流行ったときには、
ドジっ娘とか、ツンデレとか、幼女とか、
古典的な、性欲を隠れ蓑にした支配欲がジャンルとして強かったのだと思います。
「熟女萌え」が登場したとき、おや?と思いましたが、よくよく話を聞くと
「社会的地位のある自立した女が、何か可愛い趣味がある」とか言われて、
それ自分より強い人間の弱い部分を探して喜んでるだけじゃーんって思ってました。
その理解は、この10年間変わりませんでした。

BLに関しても、
「男が、悩んだり泣いたり照れたりしてる、いろんな姿が見たい」という
男を女と同じ地位まで引きずり下ろすもの、として理解していました。
実際そういう場面、テレビとか雑誌ではあんまり見ないしね。
だから、女性向けという点で、BLもTLも非常に距離が近いのだ、と。
男性向けという点では、百合に関しても、ハーレムアニメとたいして差異がないと。

そこで処理しきれなかったのは、そう、
BL好きの女性と、百合好きの男性がよく言う、
「カップルの部屋の観葉植物になりたい」「壁になって見守りたい」ということ。
すごく頻繁に聞く。

とはいえ、観葉植物になったり壁になったりできない訳なので、
「これは本音なのか?」と疑っていました。
重ねて、本当にごめんなさい。

でも、
こんなにたくさん「観葉植物になりたい」って言う人がいるってことは、
真剣に考えなきゃって思ったし、
百合イベントとかに来る男性とか本当にいい人っぽいんだよ。
男らしさを振りかざしたりしない男性、
こんなにたくさん集まってるの見たの初めて!って感じです。
意識的に、BLや百合を読んだり、トークイベントに行ったりしてきて良かった!

現在の理解。
男が女を、あるいは女が男を、純粋に愛でる方法なんだ!
関係性を約束したり、対価を求めたり、束縛したり、
付き合ったりする以外の、愛でる方法だ!


そうそう、それって私も感じていた、
異性愛至上主義によって、無いものとされていた感情だよね。

物語上では、男と男、女と女の関係や経験の共有は
すごくよく描かれるのに、恋愛感情だけは存在しない。
男の女の関係は、好きなのか嫌いなのか、
肉体関係があるのかないのぐらいしか話題がない。
ということを、幼い私は思っていました。
そんなことないよって言うことはもうわかっているんだけどね。
でも、メインストリームではないよね。

異性愛至上主義からあぶれてしまうのは、
純粋に、異性を見ていたい、応援したい気持ち。
そして、同性に欲情する気持ち。
同志じゃん!!

はー、なんかちょっとスッキリした。

書泉ブックタワーで行われた百合部ミーティングについては、
Twitterで #百合部MTG を検索してください。
『女子BL』は、電子書籍でお楽しみください

2018年6月7日木曜日

差別や偏見は、私の中に、確かにある。

先日、早稲田大学スチューデントダイバーシティセンター主催のヒューマンライブラリーに、
「本」として参加してきました。
開催概要はこちら。
https://www.waseda.jp/inst/icc/news/2018/03/05/8210/

「学校の課題で、ネットで調べてきたんですけれど、思っていたのと全然違いました!」
「ゲイは知り合いにいるけれど、レズビアンの方にはじめて会います!」
と言う、初々しい参加者に会えてよかった。
こういった、きちんとした場で、好奇心を肯定するのも必要だと改めて思った。
何よりも、私が、自分の31年間をうまく整理することができた。
次回もあったら参加したいな。
いくつか思ったことを。

1、ネットでは「何が大事か」が伝わらない
2、自分の中の差別心を肯定すること
3、アイデンティティーに固執する大切さ



1、ネットでは「何が大事か」が伝わらない
当然だけど、ネット上に、すべての情報があるわけではない。
一人の人間が、ネット上にある膨大な情報から、
取捨選択して、そのほかよりも重要な情報にたどり着けることはほぼ無い。

青空文庫の中から、自力で、読みたい作品を探せる人は居ない。

そんなことをぼそっと言ったら、信頼している友人が、
「インターネットで一番伝わらないのは、スケールだ(大きさ/規模)」と言っていた。


2、自分の中の差別心を肯定すること
早稲田大学のヒューマンライブラリーの、告知文がとても気に入っている。

「あなたは『偏見』を持っていますか?」
「はい、持っています。」こう即答できる人は、どれくらいいるでしょうか。

私は、元世界銀行副総裁西水美恵子さんの、
自分自身の差別意識についての記事(時代の風 女性の社会進出)を、いつでも読めるようにしている。
マイノリティであることの一番の苦しみは、「自分の中の差別意識を認めること」だと思う。
誰よりもまず、自分が、自分を差別している。
「差別」と「偏見」は、あるんだ。どうやったって、完全には無くならない。
それを認めない限り、「差別」と「偏見」をなくす努力はできない。

このことについては、ずっともやもやと考えていたので別の機会にまとめる。


3、アイデンティティーに固執する大切さ
毎年、東京レインボープライドの規模は大きくなっている。
進んでいる企業やコミュニティーでは、
といっても、本当にそれが"進んでいる"ことなのかわからないけれども、
まあ、その一部の"進んでいる"企業では、
「マイノリティーであることは問題ではない」というメッセージを発することがある。

渦中にいる人にとって、その言葉は暴力だ、と思う。
そして、悩んできた過去の自分を、否定する言葉だ。
こんなことで苦しんでいるのは世界で自分だけだ、と思って、
友人にも家族にも相談できず、問題について冷静に考える時間も情報もない人たちに、
そしてかつての自分に、そんなことは言えない。

やっと手に入れたアイデンティティーに、しがみついて何が悪い。
そこが安全だと確認できるまで、何かをつかんだその手を、緩めることはできない。

私だって、こんなことで悩んだりしない10代に戻れるのであれば、
今すぐ、どんなにお金かけても、やり直したい。
でも私は、「高校と大学で、たくさん苦しんだことが、良いことだったんだ」と自分に言い聞かせるしか、できることはない。
ほかの人も、きっと、そう。

今回のイベントは、「ここは安全だ」と心から思えた。
運営スタッフの方々への、最大限の感謝と尊敬を込めて。

2015年12月23日水曜日

なんで「同性婚反対」のゲイとレズビアンがいるの?

渋谷区と世田谷区でのパートナーシップの証明書発行のニュース、宝塚市や那覇市などでも同様の動きがあり、
私は友人たちと素直に喜び、祝杯をあげたりしていた。
「あ、私はレズビアンなんだと」自覚し覚悟した時、
同時に捨てざるを得なかった「結婚の可能性」が、なんだか復活しそうだからである。

同時に、SNSや、新聞の記事や、電車の中や、飲み屋の隣のテーブルから、多くの反対意見を聞いた。
もちろん、ゲイやレズビアン、バイセクシャルの友人たちからも。
2、3年前から思っていた、なんで「同性婚反対」のゲイとレズビアンがいるの?という疑問。

それが解決しそうなので少々頭の整理を。
きっかけは、伏見憲明さん主催の読書会で、渡辺秀樹、竹ノ下弘久編集『越境する家族社会学』に収録されている、
小倉康継「家族のそのさき、絆のそのさきーー「ゲイのエイジング」というフィールドワーク」を読んだからである。
(実は諸事情により、読書会は欠席したんだけど…)


以前からだいたい分かっていた、
同性婚反対のゲイやレズビアン、バイセクシャルの方々の主張は以下のようなものだ。
1、いろいろな理由で、結婚は男女のものでしょ、と思っている。
2、反対しているのはパートナーシップ条例の中身や効力であって、同性婚ではない。
3、反対しているのはパートナーシップ条例の作り方であって、中身ではない。

それに対して、私は冷淡だが以下のように思っていた。
1、あなたの理想の結婚はどうあれ、それを他人に強制する権利はないと思う。
2、今ある条例は、あなたが求めていたものではないかもしれない。でもそれによって救われる人をあなたは否定できないでしょう。
3、決定してしまったことを後から文句言うのは誰だってできる。大切なのは、同じ過ちを繰り返さないように、意見を伝える努力をすることなんじゃないかな。

しかしながら、イマイチ良い答えが考えられない反対意見があった。

4、同性婚なんて、古い社会制度を維持するだけだ。何の問題解決にもなっていない。

というもの。
次元が違う。何を指摘されてるのかすらわからん。
2番と同じ「今ある条例は、あなたが求めていたものではないかもしれない。でもそれによって救われる人をあなたは否定できないでしょ。」っていう答えで心を落ち着けちゃうのも良いのかもしれないけど、でももっと大事な考え方のような気がして 。
安易に答え出しちゃいけないぞ、と思っていたのです。

そして、読んだ。
小倉康継「家族のそのさき、絆のそのさきーー「ゲイのエイジング」というフィールドワーク」

わかったのは、みんな「家族ってなんだろう。自分は誰と生きてゆくんだろう。誰と死ぬんだろう。」ってことを、ずーっとずーっと考えてきたんだ。ということ。
そして、結婚制度の外で、パートナーと長年幸せに暮らしている友人、たくさんの友達に見守られてゆく友人、一人で死んでゆく友人を、たくさん見てきたんだ。
そして選択しないと決心した、現行の結婚制度は、対象が同性含むようになったからって、歓迎できるものじゃない、ってこと。

私、結婚や社会学には詳しくないけれど、
自分の祖父母や親の世代のように、
「男が外で働き、女は家事と子育て」という家族が、もう既に主流ではなくなっているというのはわかる。
なんでそんな歪な家族が必要だったかというと、それは、高度経済成長を効率良く支えるためだったかもしれない。

今は「男も女も程よく働き程よく遊び、子育てするなら2人で」って言うのが良いとされているような気がする。
結婚して子供がいる家族も、子供がいない家族も、事実婚の家族も、離婚して以来一人の人も、シングルファザーも、シングルマザーも、血縁関係のない人たちで住んでいる家族もたくさんいて、こんなにシェアルームやシェアハウスが流行り、いろいろなコミュニティーが出来上がっているのに、国に認められている関係が現行の結婚だけっていうのは流石におかしい。

結局、同性婚が認められるようになったって、本当に必要な「家族概念の拡大」にはちっとも寄与しない。それどころか、家制度や恋愛至上主義の延命になるだけだ。


だからわたしは、この4つ目の主張に対してはこう答えようかと思う。
いま、同性婚できないことで困っている人たちはたくさんいる。結婚できることが、支えになる人もたくさんいる。
でも、それだけじゃ、当然だけど、とてもじゃないが全員を救うことはできないと思う。
そして多分わたしは、いまの日本の結婚制度のままでは、同性婚が可能になっても利用しないと思う。

2015年12月18日金曜日

12月13日福生市LGBT講座、記録

12月13日、虹色とんちーさんの福生市LGBT講座に呼ばれて、当事者として自分の体験をお話ししてきました。
犬童一利監督の「カミングアウト」上映会のあとの対談です。お相手は、友人のななさん。二人とも、レズビアン。忘れないうちにメモしておきます。
聞いてくださった皆さん素敵な人で、泣きそうになりました。

  

映画「カミングアウト」の感想
私は、見るのは2回目。良かった。
1回目見た時、犬堂監督に「監督がゲイだったら殴ろうと思った」とか言っちゃったけど、今回は良かった。ごめんなさい。
最初、なんでそんなこと思ったんだろうと考えてみたんですが、
多分、映画に、想像の範囲外なことが起きないから。
カミングアウトしたらこんなことが起こるんじゃないかとか、一生懸命想像したり、
ゲイバーで聞く先輩方の失敗談とか、
カミングアウトしようとしている友達から聞くこと、そのまんまだから!


実際カミングアウトしてどうだった?
実は、「気持ち悪い」とか面と向かって言われたことはない。
友達関係は、静かに飲み会の誘いが来なくなるとか、そんな感じ。
兄には、「家族の性生活に興味ねえ」って言われた。後から考えるとひどい言葉だけど、その時は、肯定されたと思っちゃった。


カミングアウトするまで(1)自分のセクシャリティを受け入れる
カミングアウトしよう、って覚悟が決まると案外楽で。大変なのはその前。
私、高校生の時、「レズ」って単語しか知らなかった。
「レズ」ってネット検索すると、ほとんどAVの情報しか出てこない。
だから私、将来AV女優になるしかないんだって本気で悩んだ。
「レズビアン」ていう、自分を説明する言葉を手に入れた途端に、私は「レズビアンらしく生きなきゃ」と必死になった。
レズビアンらしい服装、レズビアンらしい立ち振る舞い、レズビアンらしいお酒の趣味、とかなんかそうゆうものがあるんじゃないかって思って、必死に頑張ってた。そんなものないんだけどね。それがわかるのに2、3年かかった。

ななさんの場合
自分はテレビで「変態」って笑われる人たちになるんだと、思った。
この子が好き!って気づいた時に、「男にならなきゃ」って思い込んで、しばらく自分をFTMだと思っていた。それが違うって気づいたのは、初めて自分以外のレズビアンに会った時。
しばらくは、レズビアンだというよりも、バイセクシャルって言ったほうがなんだか広く社会に受け入れられるような気がして、ずっと周りにはバイセクシャルって嘘ついてました。


カミングアウトするまで(2)自分以外のセクシャリティを知る
私もななさんも、生まれながらに多様性なんて持ってないんです。
実は、ものすごい勢いで、自分の中の偏見と出会い、乗り越えているだけです。

私は、2丁目に通いだしてすぐのとき、男っぽい2人のレズビアンが、恋人同士だって聞いて、もうびっくり仰天した。2人とも男役じゃないの!?って。
異性愛規範を私も持っていることに気づいた。
バイセクシャルって、彼氏も彼女も両方欲しい人でしょ。ゲイって別に女ともできるんじゃない?とか、手術してないのにトランスジェンダーって名乗ってるの?とかものすごい偏見の塊だった。一個ずつ、「あっ、違うんだ!」ってちゃんと自分の偏見を恥じてきた。
初めてMTFレズビアンに会ったときは、「わー!初めてMTFレズビアンに会いましたー」って言いそうになった。自分が「レズビアンに初めて会いましたー」って言われてちょっともやもやっとすることを、私が、やろうとしてた。
自分以外のレズビアン、自分以外のセクシャリティの存在を知って、自分がどう生きたいかとか、もうそんなカテゴライズに惑わされる必要はないとか気づく。
時間がかかることだと思います。


カミングアウトした後
カミングアウトは出発点で、それからが大変。
「レズビアンもスカートはくの?」とか
「男の子になりたいの?」とか
誤解はたくさんある。
でもだいたいもう怖いものなし。何聞かれても冷静に答えれるかな。


印象的だった参加者の言葉
セシャリティが揺れるというのに、驚いた。みんな小さい時から、ゲイだってわかっているものだと思っていた。でもそれをちゃんと受け入れるのに時間がかかるって、今回初めて知った。
息子には自由な生き方をして、いろんな人を受け入れられる人になって欲しい。
いま、誰にも言えないで苦しんでいる人がきっと知り合いにもいる。私がこのLGBT講座に行っていることを知って、少しでも楽になってくれればいいと思っています。
LGBTらしくじゃなくて、みんなが自分らしく生きれるようになるといいね。