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2026年2月1日日曜日

社民党の男性後期高齢者が、わたしの話を聞くんですっていう話。

 私は、NHKの連続テレビ小説『虎に翼』にハマったことがきっかけで、社民党で行われる憲法勉強会に参加するようになりました。

『とらつば』本当に楽しかったんだけど、わたしは知識が足りなくて、河原で古新聞を握りしめて震えているトラちゃんの姿を見ても、「願い叶ったね〜よかったね〜」とどこか他人事でした。

わたしも、トラちゃんやヨネさんたちのように、日本国憲法を読んで感動したい!
トラちゃんを抱きしめて一緒に泣きたい!
一緒に、歌って、踊って、翌日後悔するぐらい大騒ぎして、笑い合いって、喜びを分かち合いたい!
そのためには、憲法のこと、もっと知らなきゃいけない。

そんなことを、いろんな友人に話していたら、一人が「こんど社民党で日本国憲法を読む会があるから来てみます?」と誘ってくれました。「もうすぐなくなる社民党〇〇県連本部が見られます」とのこと。

護憲を掲げて約80年。県庁の目の前に堂々と構えた県連本部。この過去の栄光を手放す前に、日本国憲法を読み合うのだと。カロリーが高い。物語性がありすぎる。
トラちゃんなら、行くだろうから、私も行く。


約1年半の間、そこで出会った個性あふれる方々、完全に理解はできなくてもとっかかりが分かったかも知れない憲法のことは、本当にたくさんあるのですが、今日は一点だけお伝えしたいです。



社民党の男性後期高齢者が

わたしの話を聞くんです。




日本社会で女性として生きている方へは、これだけで十分驚きと感動が伝わってると思います。が、ちょっと詳しく説明します。社民党のおじさんたちのこと。



1、自身の男性性を前面に出さない

多くの男性は、「自分が男性であること」「自分は女なんかではないこと」を人生でとても重要視してます。これは、言葉のトーンやジェスチャー、目線など鮮やかに現れますし、ときには行動選択の理由として一番に登場します。
「ピンクの便箋なんて、男は使えないでしょー」「男は肉をたくさん食え!」というような感じ。
あの、いつでも常に自分がシスヘテロ男性だと証明し続けていなければいけない窮屈で可哀想な感じが、社民党のおじさんには、ありません。



2、相手に女性性を意識させない

多くの男性は、女性は特別に扱わなければいけない、と考えています。つまり、相手が男性か女性かで、態度を変えます。
「女子は、電話では〜でございますって言ったほうがいいよ」とか、女性が政治や投資の話をすると「よく勉強してるんですね。頭いいですね。」とか言い出します。
テキトーに相手の話に相槌打つのをやめて一言差し挟もうとしたときの、あの、どストレートな「女は黙ってろ」という全身反応が、社民党のおじさんには、全くありません。



3、武勇伝を話さない

多くの男性は、その場にいる人たちに自分の印象を強く残さなきゃいけないと思っています。とにかく己の輝かしい過去(レガシー)の話をします。
「実は国体出たことあるんですよ」とか「米津玄師と地元の同級生で、一緒にカラオケ行ったことありますよ」とか「この業界に入って40年以上になりますが……」とかを言わなきゃいけない重要なことだと思っている。
これまでの会話や今現在のお前と、何が関係あるのかさっぱりわからなくて、だからといって思考停止してヨイショするのも嫌だし、どう振る舞えばいいのかわからない、あの、謎の時間が、社民党のおじさんには、ありません。



ここまで読んで、「嘘だー!」「そんなおじさん見たことも聞いたこともないわ!笑」と思っている方もいると思います。
その気持ち、わかります。
でも、本当に居るんです。
都市伝説じゃないんです!トトロじゃないんです!
さらに驚くべきことがあります。



4、注意されたら謝る

多くの男性は、謝ったり反省したりしたら負けだと思っています。絶対に、後悔している素振りを見せません。
宮崎駿に本気で怒られてるのに「ノーダメージ」の感じでコーヒー飲んだり(©️水野シズ)、真剣に怒りを伝えてる人に対して「あなたの意見はわかりました」とか言ったりする。
こいつとこれ以上話しても無駄だわと諦めさせる、あの態度が、社民党のおじさんには、全くありません。
むしろ、こっちが怒ったり忠告したりしなくても、なんなら注意されなくても自分で反省して謝る。「僕の記憶が間違っていたら申し訳ないんだけど……」と前置きして話し始める。初対面の支持者に向かって、「参議院選挙で、大椿ゆうこを当選させることができなくて申し訳なかった」と頭を下げる。えぇーっ!!!



5、若者の話を黙って最後まで聞く

多くの男性は、目下の者の話を遮って話をします。自分の方が正しいと伝えなきゃいけない、価値ある情報を持っていると言わなきゃいけない、この若輩者を導かなければいけない、と思っている。
「言いたいことはわかるけどさ、まずあの動画見ました?」とか「ああ、そうだよ。だいたい三島由紀夫はもともと〜」とか言って、わざと相手の知らなそうな話をしてマウントを取る。
しまった!この人にこの話振っちゃいけないんだ!と後悔をじっくり味わう、あの時間が、社民党のおじさんにはありません。
どんなに経験の浅い人が話していても、どんなに社民党の党是と違う意見を持っていても、相槌を打って、静かに、最後まで話を聞いて、「そうか〜、君はそう考えているのか。君の友人たちも、そう思ってるのかな」と、さらに話させようとする。えええ、もっと話していいの!?



社民党のおじさんたちがすごい。
ほんとすごい。
そのうちのひとりに「こんなに私の話聞いてくれる年上の男性初めてですよ!」と直接お伝えしたら、「いやいや、党員や支援者の皆さんにいっぱい怒られてきましたから……もし気になることあったら、教えてください。これからも指導お願いします」とか言う。
いろんな女性が感動を伝えると、社民党のおじさんたちはだいたいそう答える。
私はこの場面を複数回目撃した。


ありがとう!
社会党、社民党の女性たち!
目の前の男性たちを変えようとして、いっぱい怒ってくれている女性たち!
ブチギレて政治から離れてしまった女性たち!
別の場所で努力し続けている女性たち!
ほんとすごいよ!
本当に、未来は変わっています!
ありがとー!!!
私も次世代のためにがんばります。

2024年2月7日水曜日

異文化コミュニケーションの体験としてのジム

月経痛を解決するためにはじめた運動ですが、だんだんコミュニケーションの課題と重なってきたので、少し記録しておきたいと思います。




●2015年に、低用量ピルの副作用としてやたら注意書きされている血栓症が怖くて、予防のためにランニングやウォーキング、自転車通勤などを始めました。生理痛緩和のために、よもぎ蒸しにも通いました。

●2018年、効率よく汗をかくためにホットヨガスタジオに通い始めました。

●2019年、会社のストレスに対応するために、朝に通える自転車のフィットネスジムに通います。
その時は会社で企画会議のたびに泣かされていたりしたのですが、ジムに行った日には、上司や先輩の感情に振り回されなくなり、とても高い効果を感じました。

●2020年、感染症予防のためにジムが休みになりました。ゴルフのインストラクターをしている友人に誘われて、毎週ゴルフのレッスンを受けることになりました。よく行く飲み屋のゴルフコンペには、2年ほど前から遊びで参加していましたし、コロナ禍でもゴルフは自由にできる少ないアクティビティでした。
その時やっと気づいたのですが、きちんとプロにスポーツのやり方を教えてもらうのは人生で初めてでした。

なかなか不出来な生徒だったと思います。
インストラクターの友人から言われた言葉は、本当に意味がわからない言葉ばかりで、毎回大混乱していました。例えば、「膝の力を抜いて構える」と言われて、実際に力を抜いてみたら、その場にへたりこんでしまいました。膝の力を抜くと立てなくなるんですね、知らなかった。じゃあ、「膝の力を抜いて構える」とは一体全体、何を意味しているのか?「腕の力じゃなくて、下半身の回転で打つ」と言われて、ゴルフクラブを落としてしまったこともあります。
加えて、一緒にゴルフをする友人たちは運動部経験者が多く、毎回、価値観の違いに驚いていました。体罰を容認する友人たちと、言い合いのようになる場面も数々ありました。文化の違いを知るのが、楽しみでもあり苦しみでもありました。

●2021年、コロナ禍の運動不足とストレスが山のように積もっていました。もっと自分の身体を思い通りに動かしてみたい、そして、今まで全然自分に関係のない新しいことをやってみたいと思い、キックボクシングジムに通い始めます。テレビで格闘技を見たことはないし、キックボクシングの試合のルールも知らず、当然人を殴ったことも殴りたいと思ったこともない、というような状態で、入会しました。

入会した直後のことは、ジムのオーナーによく揶揄されます。「この子はちょっと教えられないかもしれない、と思った」とのこと。1時間レッスンを受けても全然疲れないほど、まったく身体を動かせなかったです。

●キックボクシングのジムに通い始めて2ヶ月ほど経って、ゴルフのインストラクターの友人に、パーソナルレッスンをお願いしました。基本的な筋トレの体勢と筋肉の動かし方を教えてもらいました。
「バービージャンプ」なんて聞いたこともないし、スクワットを何のためにするのかピンとこないですし、プランクをすると肩が痛いし、クランチの姿勢をとると首が痛くてたまりません。そういった悩みを言葉で解説してもらいました。

初心者なので、当日に悩みが解決するなんてことはありません。ですが、質問にちゃんと答えてもらえるんだと体験したことによって、その後ジムでも、インストラクターに質問することに戸惑うことがなくなりました。
お尻を突き出すとか、つま先より前に膝が出ないようにするとか、いろいろよくある注意をまずは全部守ってみようと頑張ってみました。

●2022年、連打ができるようになりました!!
それまで、10回ぐらい連続でジャブとストレートを打つと、足と手がばらばらになってしまって、うまく殴れませんでした。
それを先のゴルフのインストラクターの友人に相談したら、「リズム感がないんだよ」と言われました。私は、幼少期からいろいろな楽器を経験してきたので、リズム感には自信があったのですが...。友人曰く、メトロノームや他人の演奏に合わせるリズムではなく、自分の身体のリズムがあるのだとのこと。
ひたすらサンドバックに向き合い、体重移動を意識しながら、ぽすぽす、ぽすぽす、ぽす...と練習。ある時、閾値に達したのか、急に1分ぐらい連打ができるようになりました。やったー!なんだかとてもレベルアップした気分です。
そして、ついにクロスバイクを購入し、10kmぐらいの移動は自転車で行くようになります。

●2023年にアマチュアの試合に出るために、3ヶ月ぐらい、試合に勝つための練習をしました。全然これまでとは違う練習に驚きました。
相手が嫌がることをする、相手のミスを誘う、ということに驚きを隠せませんでした。一体何のために……と悩んだりもしました。いやまあ、試合に勝つためなんですけれどね。「アマチュアの試合に出てみたいけれど、勝ちたいわけではない」なんて言ったらブン殴られそうな雰囲気です。ヤッバイ異文化。一回試合に出てみて十分に満足しました。反動で(?)スポーツ観戦ができるようになりました。
試合の後、久しぶりに、飲み屋のゴルフコンペに参加し、ゴルフのインストラクターの友人に再会しました。「姿勢も身体の形も全然変わっていて誰か分からなかったよ!」と言われました。えへへ、嬉しい。

●2024年になって、急にキックボクシングのインストラクターに褒められています。
軽くスイッチジャンプをしているとき、「良い感じに上半身の力抜けているね」と。そんなこと褒められるのは初めてです。先日は、ミット打ちの後、「体をどう動かせばいいか分かってきたでしょう」と言われました。「今まで、足の向きや頭の位置とかいろいろ言葉で説明してきたけれど、今は、自分の体の反応で、体をどう動かせばいいか分かってきたでしょう」と!わーい!わーい!

インストラクターは、「シュシュシュシュ!バーン!ってやってみて」とか「次は、パン!パン!パン!パン!でいくからねー」「ちがう、ダンダーン!最初のダンが大事!」などと指示するのですが、3年前は私も大真面目にその発言から意味をすくい取ろうとしていました。だんだん、おかしくて笑いそうになってきますが、インストラクターは大真面目に「なぜ通じないんだろう?」と悩んでいます。今私は、少しこのコミュニケーション方法が、できるような気がしています。

健康になりたい!健康のために運動をしなければいけないと思っていた2015年には、まったく想像もできないところに来ています。これからも楽しみです。

2022年6月28日火曜日

対話の実践における問題

最近やっと、対話がうまくいっていない状況がよく認識できるようになってきた。

長い間、自分の問題でいっぱいいっぱいで、
どうにかこうにか頑張って1日1日生きてきたので、
友人との関係とか、友人が何を考えているかとか、気にする余力もなかった。

最近は、月に1回の産業医のカウンセリングのみで、かなり落ち着いている。
仲の良い友達だけでなく、今一緒にいる人たちと心地よく時間を過ごそうという心の余裕も出てきた。

ただ、成人してから知識としてコミュニケーション方法を勉強したので、経験をうまく理解できないことも多い。
だけれども私は、素敵な友人たちに恵まれて、言語化する訓練ができた。
これまでの、解釈するのに時間がかかった経験を記したいと思う。
記録と、そして自戒のために。


 

・対話が(今)できない
怒っていたり、混乱していたり、
生理的な嫌悪感とか、諦めとかいろいろな理由で私と対話しようとしない人はいる。
嘘ついたり、相手を黙らせようとしたり
対話するフリとかしない分、まともな人だな〜とは思う。
けれど、相手からのアクションがないので、
対話のチャンスを逃さないようにしようと思って、つい追い詰めてしまう。

・言葉が通じない
私はカラオケが好きじゃないしゲームも興味ないし、そうはっきり伝えているのに。
カラオケ行きたい!一緒にゲームしよう!と3回誘ってきた。
どうやって意思疎通したらいいのかわからなかった。
こちらからの「リアクションがあること」に反応しているので、
テンプレやスタンプなど、最小限の返事を続けることが、お断りの意味として伝わる。

・全く相手に興味がない
すごくたくさんわーっと話す、にぎやかな人で、他人に興味がない。
10年来の知り合いで、コピーバンドもやってる人に対して、
「音楽好きなんだっけ!そんな印象ないなー!」などと言っていた。
横で聞いていて、さすがに笑ってしまった。
笑われても気にしていない。

・他人のことを暴露する
「知り合いに紹介する」と言いながら、
単なる私のプライベート情報を人に言いふらしていた。
共通点が見出せないような、変な情報ばかり伝えるので、誰とも仲良くなれなかった。
むしろそれを聞いた相手は引いていた。
そうやって、私を囲い込んで、群れの仲間にしようとしているようだった。
私が仲良くしたい人は私が選ぶよ、と主張したら喧嘩になった。

・分からないことを分かると言う
「ドイツ映画」とか「熱帯フルーツ」みたいな
大きなジャンルの話にはノってくるのに、具体的なことは全く話さない。
違和感があって、相手の考えを引き出そうとしたら、
「うちらの感性が同じなんだよ〜」みたいな言葉で誤魔化された。
仕事や面接じゃあるまいし、知らないことや分からないことを分かっているフリするメリットなど全く無いから、プライベートでそんなことする人いないと思って、油断していた。
いた。結構たくさんいた。

・分からないことを分からないと言わない
私が話していることに、「そうっすね」「まあね」「せやな」「それな」と、
相槌を打っているが、ただ聞き流しているだけ。
分かっていないなら、質問したり、話を止めたりしてほしいのだが、しない。
そういう人と、対話を続けるのは本当に難しい。
何を話したらいいのかわからない。

・関係性を断定する

「私たち親友だよね」
「ビジネスパートナーじゃなくて、友達関係になりたい」とか言う。
判断基準がわからなくて困った。
文字だけ見ると、セフレの別れ話っぽい。趣がある。

・怒られることに慣れすぎている
話をするつもりはあるが、
相手の発言を、ほとんど「責められている」「怒られている」と受け取る。
かつて私もそうだった。
「頭良いね」と言われたら、二言目にはののしられると思って身構えていた。
でも、私には他の人の問題は解決できない。

・相手を試す
料理とかお酒とか、明確に好みがあるのに「オススメありますか」と言う。
「あなたが私に食べて欲しいもの」と言って料理を注文している人もいた。
リクエストではなく、ただ相手を試しているだけなのだが、失礼なことだと思っていないようだ。

・自分の「言いたい」欲を満たすために言葉を使う
「体、重そうですね」とか「剛毛ですね」とか、わざわざ本人に言う。
「背、高いね」とか「肌、白いね!何か特別なことしてるの?」とかとも似ている。
言ったらダメだよ、といわれていることを果敢に言う。


2019年2月11日月曜日

死刑と、ヘイトクライムについて

相模原障害者施設殺傷事件についての演劇を見て、
なんだか、すごく、暗い気分になっている。
酷い事件だ。そこは同意。
でも、日本で、法やヘイトクライムについての議論って
このレベルなの?っていうか。なんつうか。

あらすじは、以下のような感じ。
---------------------------------
死刑制度廃止を訴える人権派弁護士が、
相模原障害者施設殺傷事件の実行犯の国選弁護人となる。
被告人や、被告の両親、被害者の家族と面会するうちに、
弁護士は、被告人を憎み、被告人は死刑にすべきだ、と強く望むようになる。
死刑制度廃止の主張との矛盾を感じて悩むが、
自身の被告人への憎しみと、被告人の人権遵守の立場を切り離し、裁判へと望む。
---------------------------------

私が、主人公に感情移入できないポイントは2つある。

1、死刑制度は、
「国民は人を殺してはいけないけれども、司法は人を殺して良い」という
この社会システムの欠陥だ。命が尊いとかそういう話ではない。

2、日本であのようなヘイトクライムが起きたことについて、
私は、全然、驚いていない。



1、について。
人が、何が原因で犯罪を犯すかという普遍的なものが解明されない限り、
全ての人が、犯罪を犯す可能性があると思う。
善良な国民と死刑囚は、地続きだ。そこに断絶なんて、ない。


生まれ落ちた環境は、選べない。
生まれたときから選択肢が少ない人は多い。
犯罪者になるしかない人も居る。
そういう人たちに、「罰」を与えても意味が無い。
必要なのは、「社会のルール」と
「自分と社会の折り合いを付けて生きていく方法」を学ぶ場である。
現在、かろうじて前科の無い私も、上の二つは、義務教育で習っていない。
親からも、高校の先生からも、誰からも、教わっていない。

竹中功『よしもとで学んだ「笑い」を刑務所で話す』という本を読んだ。
軽犯罪を繰り返す受刑者のために、刑務所でコミュニケーションを教えるそうだ。
近所の人と挨拶をしよう、と。
「おはよう」と言い合える人には、「助けて」「お金貸して」って言いやすい。
もう、お金や食べ物を盗まなくて良くなるよ、ということを教えるらしい。

読んだときは、そこから!?と正直絶句した。
でも、すぐに納得するようになる。
会社を鬱病で退職する人、犯罪者になってしまった過去の同級生、
ハラスメントを繰り返す部長、モテたいとしか言わない非モテを拗らせた人、
なんだかみんな、下手なのだ。助けを求めるのが。
「だれも、自分を助けてくれない」と思うかもしれない、
でも、助けを求めるような人間関係を築く努力をしていないじゃないか!とも、思う。
そしてその方法は、誰も教えてくれない。

刑務所に入れた人しか、その教育を受けられないようでは、いけない。
今ぎりぎり、病気にならなくてすんでいる人、
犯罪者にならなくてすんでいる人を救う手段も、教育だ。
30代でも、70代でも、学べる環境を作らなければいけない。つよく、そう思う。



2、について、
もしかして多くの日本人がこの感覚なわけないよね?って思って、うんざりする。

ヘイトがあふれているのは、なにも、2ちゃんねるやTwitterだけじゃない。
会社で、飲み屋で、コンビニで、役所で、旅館で、いつだって目にするものだ。
この社会の行政システムに、この社会に蔓延している。

タクシーに乗れば、運転手が、
最近外国人多くて困っちゃうね、とまるで天気の話をするかのように言う。
旧姓で働く女性が、国際学会に出席するときに、毎回、パスポートの確認で手間取る。
30年近く日本に住んでいる人でも、見た目や名前が外国人風だと
「日本語うまいですね」と、本当に、どこでも、何度も何度も何度も言われる。
何人もの在日韓国人が、自分がそうだと言えずに、おびえている。
ホームレスの人が寒さに凍えているけれど、町の人は、見て見ぬふりをしている。

今まで多くの、在日韓国人が、障害者が、日雇い労働者が、女性が、同性愛者が、
ときにはくじけながらも、絶えず声を上げ続けてきたのに、
それにまったく気がつかずに、主人公は、今更、被告人のヘイトに驚くのか!!

おまえの目は、いままで、世界の何を見てきたんだ。
おまえの耳は、いままで、誰の声を聞いてきたんだ。
マイノリティーの声をかき消してきたのは、おまえじゃないか。
おまえみたいな奴が、この世界の大多数じゃないはずだ。

悔しい。こんな舞台が存在していることが、悔しい。

2018年9月10日月曜日

対話とは、多分私が経験したことのないもの。合コンみたいな。


差別に苦しんでいる人や、社会システムで不利益を被って怒っている人に
「冷静になれ。その方法じゃ誰にもあなたの悩みは伝わらないよ」とか言ったり、

結婚したくて、恋愛市場での自分の価値をあげるために頑張っている人に、
「そんな、他人に点数つけるような人たちがおかしいよ」とか言ったり、

自分がゲイだって絶対に、親にも友人にも職場の同僚にも言えないと悩んでいる人に
「そんなの悩む必要ないよ。何か資格とって都会で就職したら?」とか言ったり、

なんらかの理由で、十分な教育を受けられなかった人に、
「頭つかえよ。ニュース読みなよ。」とか言ったり、

周りの男性に30年以上馬鹿にされ続けて、すっかり内面化してしまった女性に、
「怒らないとだめだよ!ちゃんと上申しないと!」とか言ったり、

なんでそういうことが起こっちゃうんだろうと思ったけれども、
それって本当に、ただ、相手が見ている世界や環境を知らないだけなんだ。
自分が見えている世界と、全然違う世界があるということを、認知できていないだけなのかもしれない。

対話ってなんだろうと考えれば考えるほど、
「私は、対話を、したことなかった」と思うし、
対話が成立している状態はこうです、とは、説明できない。

対話とは、そういうことなんだ。
「ほんと、まじ意味不明」「なんでそんなこともできないのかな」って思うような人と、
フラットに話しつづけられるかってことなんだ。
「戦争と暴力を終わらす方法は、唯一、対話だ」とは、
私の大好きなアンジェイ・ワイダ監督の映画から学んだことだけど、
ただ、叫ぶだけではない。怒るだけではない。


なんで、私が、今、気付けたのかというと、
読書会というものを数年間主催していて、
そろそろ気づくべき時が来た、というのもあるが、
人生で初めて”合コン”に参加したというのが、会心の一撃だと思う。

私にとっての合コンは、
「私の知らないルールで、私には認知できないカードを、
男女が切った張ったやっている。
私には、自分の手持ちのカードすら、認知できない。
日本語を使ってはいるが、たぶん言葉の意味がまったく違うので、
ほぼ、お互いに言っていることの意味が、伝わっていない。」

そう、よくわからない領域の学会発表に来てしまった感じ。

それまでは、私は、冗談で
「私の周りには、自民党支持者は居ないんだけどな」とかすら言っていたのだが、
それが、自分と似た人とだけ関わってきた、という
「かなり深刻な状況」を表しているんだとは、正直、思ってもいなかった。

むしろ私は割と、異文化コミュニケーションを学び、海外出張とかもあり、
飲み屋のゴルフコンペとか異業種飲み会とかNPOとかで、
いろんな人に会ったり話したりしているつもりだった。
異文化っていうのは、そんなところにはなかった。
全く認知できないものだった……。


あと同時に思うこと。
女性の社会進出とか、多様性の尊重とか、民主主義とかって、
国際社会における日本の評価にも繋がるし、
実際それに困って苦しんだり自殺してしまう人もいるし、
この問題は、むしろ気づいていない人の方が深刻。

以上のことを考えると、
振り込め詐欺や客引き詐欺と同じように、
「学校が、下着の色を指定することはありません。すぐに児童相談所にご連絡ください」
とか
「育休申請を理由に、減給することは違法です。お近くの労基にご連絡ください」
とか
住宅地やオフィス街を巡りながらパトカーで広報するとか、
商店街で、15分に1回、注意喚起するアナウンスを流し続けるとか、
そうやって対処しなきゃいけない問題なんじゃないだろうか。


2018年7月31日火曜日

2020年 教育改革について、虚学を志す人の感想。

コミュニケーション能力とかいうものに長年悩まされてきた人間として、
一応読んでおこう、書いておこう。

教育改革についてはベネッセのページが、一番シンプル。
2020年 教育改革早わかり(ベネッセ)




中村高康『暴走する能力主義』ちくま新書、読んだ。
遡上にあがっている「能力」というものに
どういう特性や性質があるのかというのは置いといて、
(それがこの本のメインなので、なんか申し訳ないけれど……)

2020年の教育改革は、そもそもよく議論されていないって主張は、
まあ私は文科省の人間では無いので、本当にそうなのか確かめられませんが、
たしかに、「ゆとり教育」の何が良くて、何が悪かったのかという
冷静な振り返りは、ほとんど聞かない。
真面目な誰かが、独自でやっていると思うけれども。

だから今回の教育改革も、
過去にどんな失敗と成功があり、
今どんな問題があり、何を解決したくて、
「対話的で深い学び」とか「創造力」とか「学び続ける力」とかの
さまざまなキーワードを設定したのか、わからない。
なので、なんかぼんやりと理解したふりをしている。それは確か。

でも、学習指導要領って、ずっと、入試対策ではなかったよね。
きちんと、年齢相応の知識を教えようとしていたよね。
なのに現場が、受験一色になっちゃってまったく変わらないから、
「今回は最終手段!入試を変えま〜す!」ってことなんだと、理解している。


「能力」は計れないし、
それが何を示しているかも時代で変わってゆくから問題だって、言うのもわかるし、
そんなもんで評価されてたまるかって気持ちもわかる、
でも、そういうものに対応する力が教育の現場に求められるのではないのか?とも思う。
「コミュニケーション能力」が何を指し示すかは確かに不安定だけど、
一人の児童のほうがもっと不安定だぞ。


6歳〜18歳に何が必要なのかってことも考えたい。
アカデミズムは、変わらない。
たぶん、そんなに、大発見は立て続けにおこらない。
だから、アカデミズムのための規則や価値観を知るのは、本当に、何歳からでも遅くない。

でも一方で、多様性の受容や、寛容の精神を知るのは、若ければ若い方がいい。
若いときにしか理解できない小説や漫画もある。
大学に行かない人も、高校に行かない人も、理解しなきゃいけないことがある。

きちんと応援しよう。
そうすれば、いつか、きちんと反省できるはず。

2018年6月7日木曜日

差別や偏見は、私の中に、確かにある。

先日、早稲田大学スチューデントダイバーシティセンター主催のヒューマンライブラリーに、
「本」として参加してきました。
開催概要はこちら。
https://www.waseda.jp/inst/icc/news/2018/03/05/8210/

「学校の課題で、ネットで調べてきたんですけれど、思っていたのと全然違いました!」
「ゲイは知り合いにいるけれど、レズビアンの方にはじめて会います!」
と言う、初々しい参加者に会えてよかった。
こういった、きちんとした場で、好奇心を肯定するのも必要だと改めて思った。
何よりも、私が、自分の31年間をうまく整理することができた。
次回もあったら参加したいな。
いくつか思ったことを。

1、ネットでは「何が大事か」が伝わらない
2、自分の中の差別心を肯定すること
3、アイデンティティーに固執する大切さ



1、ネットでは「何が大事か」が伝わらない
当然だけど、ネット上に、すべての情報があるわけではない。
一人の人間が、ネット上にある膨大な情報から、
取捨選択して、そのほかよりも重要な情報にたどり着けることはほぼ無い。

青空文庫の中から、自力で、読みたい作品を探せる人は居ない。

そんなことをぼそっと言ったら、信頼している友人が、
「インターネットで一番伝わらないのは、スケールだ(大きさ/規模)」と言っていた。


2、自分の中の差別心を肯定すること
早稲田大学のヒューマンライブラリーの、告知文がとても気に入っている。

「あなたは『偏見』を持っていますか?」
「はい、持っています。」こう即答できる人は、どれくらいいるでしょうか。

私は、元世界銀行副総裁西水美恵子さんの、
自分自身の差別意識についての記事(時代の風 女性の社会進出)を、いつでも読めるようにしている。
マイノリティであることの一番の苦しみは、「自分の中の差別意識を認めること」だと思う。
誰よりもまず、自分が、自分を差別している。
「差別」と「偏見」は、あるんだ。どうやったって、完全には無くならない。
それを認めない限り、「差別」と「偏見」をなくす努力はできない。

このことについては、ずっともやもやと考えていたので別の機会にまとめる。


3、アイデンティティーに固執する大切さ
毎年、東京レインボープライドの規模は大きくなっている。
進んでいる企業やコミュニティーでは、
といっても、本当にそれが"進んでいる"ことなのかわからないけれども、
まあ、その一部の"進んでいる"企業では、
「マイノリティーであることは問題ではない」というメッセージを発することがある。

渦中にいる人にとって、その言葉は暴力だ、と思う。
そして、悩んできた過去の自分を、否定する言葉だ。
こんなことで苦しんでいるのは世界で自分だけだ、と思って、
友人にも家族にも相談できず、問題について冷静に考える時間も情報もない人たちに、
そしてかつての自分に、そんなことは言えない。

やっと手に入れたアイデンティティーに、しがみついて何が悪い。
そこが安全だと確認できるまで、何かをつかんだその手を、緩めることはできない。

私だって、こんなことで悩んだりしない10代に戻れるのであれば、
今すぐ、どんなにお金かけても、やり直したい。
でも私は、「高校と大学で、たくさん苦しんだことが、良いことだったんだ」と自分に言い聞かせるしか、できることはない。
ほかの人も、きっと、そう。

今回のイベントは、「ここは安全だ」と心から思えた。
運営スタッフの方々への、最大限の感謝と尊敬を込めて。

2017年11月20日月曜日

性教育は民主主義の基本です。性教育をしっかりすれば、投票率も上がります、たぶん。

誰が、どれだけ、自分に近づいて良いかは、自分が決める。
安心できる環境は、自分で守る。
そして自分以外にも、全ての人にその権利がある。

これが、性教育の基本だと思っています。
先月ちょっとマレーシアに行ってきまして、
そこで、マレーシアで子育てしている日本の女性たちとお話しする機会がありました。
マレーシアでの教育で困っていることがあるかとお尋ねしたところ、
「性教育!」と間髪入れず答えが返ってきました。

詳しく事情を聞きますと、
日本語学習とか学費とかいろんなことを考慮して、
日本人学校とインターナショナルスクールを行き来する子が多いようなのですが、
一番違いが大きいのが、性教育だそうです。
インターナショナルスクールでは中学3年生で性行為の動画を見せる。
一方で、日本人学校は、
精子と卵子はわかったけどだからなんなんだ?と思うような、ぼやかした表現ばかり。
そのギャップを、家庭で埋めなければいけないが、
どう子供に伝えたらいいのかわからない、とのこと。

大事なことなのに、照れてしまってうまく言えない。
子供がちゃんと聞いてくれない。
というか、そもそも、
子供を性犯罪被害者・加害者にしないために何を伝えたらいいのか、
なんでよく知らない人とセックスしないほうがいいのか、
なんでパンツを売って稼いじゃいけないのか、
という答えを、持っていない。



実は、マレーシアに滞在中に、私が一番ショックを受けたのは、
女性ってこんなに弱かったっけ…
男性ってこんなに思いやりがなかったっけ…
ということでした。

ほとんどの男性は、
日本の女性は押しに弱いと、知っています。
そして、そのような態度で接してきます。
そこから自分を守る方法を、日本の女性は知りません。

ホームパーティ中、50代の男性が、ずっと20代の女性の手を握っていました。
気持ち悪くて、なんでその手を振りほどくことができないんだ、と女性に対して怒りを感じてしまったりもしました。
毎日毎日ハグや握手を求めてくる男性に「申し訳ないが、私は、そういうの得意じゃない」と断ったら「普通の日本の女性はすごくスキンシップが好きなのに!」と言われました。彼は、日本の人同士では握手もあまりしないことを知りませんでした。
日本の女性は、お酒を断る時も笑ったりして結局断りきれず、飲んでしまいます。
すごくすごく不愉快な冗談を何度も言われても、笑いながら「なんでそんなこと言うの?」と聞くだけで怒りません。

ある男性が、母国の保守的な地域では、
女性が結婚するときは処女でなければいけなくて、
病院の証明書を要求される場合もあるんだ、と話してたとき、
私は「新郎も童貞だって証明書が発行するべきだ」とか言ってみんなと笑っていました。
「女性だって自慰するし、スポーツで出血する子もいるよね。それはどうなるの?」と私が質問したとき、向かいにいた話を聞いていた男性たちが「いやいや、ちょっとお酒飲み過ぎですよ!彼女の発言気にしないで、変な子だから!」と私の質問を取り消しました。
この事件を、私はまだうまく処理できていません。
山の近くの出身の女性に「君の親は猿か」とからかったり、
初めて会った女性に「何歳ぐらいで結婚したいか」と聞いたり、
お酒好きな女性を大げさにからかったりするのは、日本の男性だけでした。




話が変わりますが、
LGBTについての研修などでお話していると、ときどき、
参加者から頓珍漢な質問が寄せられます。
「小学生とセックスしたい人たちの権利も守るべきだ」とか
「LGBTを生理的に受け付けられない人の権利を守るべきだ」とか。
多くの性犯罪でも、「合意」があったのか、なかったのかについて、
不可解で不愉快な判決がおりています。
自己決定とか、民主主義とか、
そういうベースの理念が共有されてないんだと、気づきました。


マレーシアで子育てしている女性たちには、
私が、バイブルのように大事にしている2つの本を紹介しました。

リヒテルズ直子著『オランダの共生教育 学校が<公共心>を育てる』平凡社 2010




ひとつめの本、主な話題は、いかにして個性を伸ばす教育を運営しているのか、歴史と理論の解説ですが、
かなりのページ数を、性教育とジェンダー教育の紹介にさいています。

オランダでは4歳から始まるという性教育。
以下は、最初の授業の様子です。

車座になった子どもたちの真ん中に、腕を通せるくらいの穴を開けた箱を置きます。箱の中には、スポンジ、柔らかい布、くしゃくしゃにした紙などが入れてあります、子どもたちは順番に穴から手を入れてみて、中のものに触り、どんな感じがするか、意見を言いあいます。それから、子どもたちが持ち寄ったお気に入りのぬいぐるみを見せあい、ぬいぐるみを抱きしめたときの感じ、お母さんに抱かれたときの感じなどについてワイワイガヤガヤ話をします。(p.138 l.7-11)

まずは、子供達が大好きな身体的な接触を、肯定すること。
そして、それは、人それぞれ違うということを、4歳の時から、しっかり言葉にして伝えてゆくんです。


デビ・ブラウン著『アスピーガールの心と体を守る性のルール』東洋館出版社 2017



ふたつめの本は、相手にNOと伝える方法、
なぜ彼氏以外とセックスしちゃいけないのか、
性被害にあってしまったらどうしたらいいのか、
ということがきちんと丁寧に書かれています。

自分の肉体の管理者は、自分である。
歯も、腎臓も、子宮も、膣も、全部自分の肉体なんです。
この考えをちゃんと持っていれば、
数ある内蔵の内のひとつについての説明が、
恥ずかしくてできない、ということが無くなるのではないか。

友達であれ、知らない人であれ、
突然、口に、他人の手を突っ込まれる衝撃は誰もが想像できるのに
性犯罪がこんなに軽んじられているのは、
性(性器)は自分の管理下には無いという思想が、流布しているからではないかと、
最近はそんなことを考えておるのです。

2017年4月3日月曜日

多様性の受容、寛容さを育む「人文の力」なるものがあるのか。

日本の教育は遅れていると、いろいろな場所でいろいろな職業の人から聞く。
じゃあ、今とは違う、新しい教育ってどんなものなのか。
そう思って勉強を始めて4ヶ月ぐらいが過ぎた。
おかげで、今、私は、
わりと最先端の教育を受けてきたのだ、と改めて認識している。
そしてその経験から、かなり強い危機感を持っている。
そのことをちょっとメモしておこう。


1、「専門は別分野だけど、教育に興味がある」おとなが参入してくる
2、教えるのが難しいけど一番重要な「多様性の受容」がたぶん遅れる



1、「専門は別分野だけど、教育に興味がある」おとなが参入してくる
21世紀型スキル、探究型学習、アクティブ・ラーニングなどで
新しい教育のあるべき姿として主張されているものは、
知識を得ることではなく、知識を得る方法を習得することだ。
学校を卒業しても、大人になっても勉強する習慣、というやつではないだろうか。

今まで、日本では家庭環境に任せっきりになっていたものだと思う。
そういう面では、私は恵まれた環境で育ったと思う。

家には百科事典があり、いつでも自由に手に取れる場所にあった。
小学生のときから、電子工作や、家具の設計や組み立て、
キャンプではテントの張り方や火のおこし方を教えてくれた。
太陽の直径のはかり方や、恐竜が絶滅した原因についての複数の仮説、
星座に現れるさまざまな神話、和算など、
学校の科目に捕らわれない学習を毎日のようにしていた。
クラシック音楽やオペラ、西洋絵画や映画を鑑賞するときの、
宗教の基礎知識も、もちろん、親が講義してくれた。

こんな環境で育てば、知らないことなんて怖くない。
新しい価値を学ぶことはいつも楽しい。
おかげで、私も兄も新しいものを学ぶことに全く抵抗がない。
こんな環境を、学校に作ろうということだ。

楽しいに決まってる。
クラスは一気に活気が満ち、
子どもたちの夢中な姿を見て、教師も満足するだろう。

しかし日本の公教育はなかなか変わらない。
その代わりに、教育系ベンチャーやNPOが盛り上がっている。
大学生や社会人が、プロボノみたいな名目でたくさん参加している。
でも彼らは、教師では無い。
教育学の知識がほとんどないこともある。
教育をドライに考えられない。教育を客観視できない。
自分の成功体験と情熱だけに支えられたそれは、結局、おとなの自己満足だ。


2、教えるのが難しいけど一番重要な「多様性の受容」がたぶん遅れる
中途半端に良い教育を受けた人たちには、ときどき、問題がある。
選民意識と、コミュニケーション不全。

理由はだいたいわかる。
こんな恵まれた環境にいる人は少ない。
教育熱心な親たちに、時間やお金を、たくさんかけてもらっている。
外からは「ちょっと変わった子」に見える。
自分を笑うおとなたちより、多くのことを知っているのに。

自分が恵まれた環境で育ったことに、無自覚なこともある。
どれだけ自分が安全な環境にいるのかわからない。
社会的弱者に、本人の努力が足りないから生きづらいのだと、平気で発言する。
自分と似た人に対しては同族意識を持ち、忠誠心も強くなる。
自民族中心主義に陥るのだ。

私が、それに苦しんできた。
それを打破できるのは、圧倒的な他者だ。
他者との共同作業、哲学や文学を通じて、自己を客観視する訓練が必要だ。

これを教えなければならない。
これは、決して、自分の経験だけでは教えられないものだ。
教育者としての認知的な知識が必要だ。

これを教えなければ。
ペットボトルロケット飛ばして笑っている場合じゃない。

2016年12月11日日曜日

装うことについて

ずっと気になっていたけれど、「私にはまだ早い」と思って読んでいなかった本。
こんなきっかけで読むことになって、とても残念。
もっと早く読めば良かった。


雨宮まみ『女の子よ銃を取れ』平凡社


外見も立派なコミュニケーション手段であると知りつつも、
自分の服と化粧についてについては、長い間、直視できないでいた。
大きな理由に母親から言われた言葉があると思う。

母親は、裁縫が大好きで、いつも私の服や鞄を作っていた。私が、高校を卒業しても、社会人になっても。
母が私の髪を切っていたので、大学生になるまで、美容室にも行ったことがなかった。
化粧をしたいと言ったら「なに色気づいてるの、勉強しなさい」と言われ、
赤い下着を買ったら「こんなの履いているの」と嗤われ、
母の好きじゃない服を着ていると「似合わないから、それ着て外出ないでね」と悲しい顔をされ、
「足が太い」「デブ」「やせれば可愛いのに」と小学校から挨拶のように言われ続けて、私はすっかり、
「化粧をせず、流行遅れの服を着て、太って可愛くないこと」が自分であると思い込んでいた。

そんな私が最初に食いついたファッションは、ゴスロリ。
誰よりも強く、どんなに傷ついても平気。そんな鎧がほしかった。
ゴスロリに夢中だったのは大学生2年から社会人3年目ぐらいの時だった。
ボーナスが出れば、そのほとんどを、大好きなブランドの店で使った。
23歳ぐらいの時、強烈にレズビアンアイデンティティみたいなものが固まってきたのも影響している。
レズビアンっぽい服装、髪型をしなければいけない、と思い込んでいた。
何が何でも自分が良いと思う服しか着ない!
そうすれば、周りから何を言われても傷つかなかった。

大好きなブランドの店舗が、原宿から池袋に移り、商品のラインナップがずいぶん変わってしまった。
ああ、私は変わらなければいけない、と思ったのは、そんなとき。
仕事で、プロフィール写真を撮った。
カメラマンに「どういう角度から撮った自分が好きですか」と聞かれ、とっさに私は「左側は歯並びが悪いので、写らない方が嬉しい」と言った。
そんなことを思っていたんだと自分にショックを受け、すぐに矯正歯科に行った。
結局、プロフィール写真は、顔の左側から撮ったものになったけれど。


やっと、素直に、綺麗になりたいと思えた。
最初の投資が歯科矯正100万円。

そこからは、ストレス解消に似た、暗黒時代。迷走。
服は、買いだめたものを大切に着ていた。
ヘアカラーは、赤茶、ピンク、オレンジ、黄色、緑ところころ変えた。
だいたいやりたかったことは全部試したかな、次のステージにいかなきゃ。と思えたのは、半年ぐらい前。

だんだん、買いだめた服もくたびれてきた。
半年前、ジーンズを買った。
「あんたはズボンをはくともっと足が太くなるから、はくな」と母に言われたときから、8年以上、ジーンズをはいていなかった。
何度も買おう思ったけれど、いつも試着室で母の言葉がフラッシュバックして、買えなかった。
今では、ジーンズをはくと、そんな時もあったなあと思い出して、
少し、大人になった気がする。

1年前に友達と、はじめて伊勢丹の化粧品売り場に行った。
勢いで買ってしまったパレットも、今は結構使いこなせていると思う。

今は、自分がより魅力的に見える服を選ぼうと、身構えずに思える。
それでもやっぱり、ちゃんと化粧するのが怖い。
新しい服を試着するのが怖い。


額縁に合わせて絵を選ぶことなどありません。絵に合わせて額縁を選ぶのです。私たちはその額縁を、自分で選んでいいのです。そして、それはいつでも取り替えることができる。何度失敗しても、簡単にやり直すことができます。(p.61)


今までも、これからも、彼女の著作は多くの人を救うんだろうな。

2016年10月31日月曜日

ポートフォリオと認知療法と『キンキー・ブーツ』について



1、ポートフォリオ
教育界では何年も前から「ポートフォリオ」の必要性が叫ばれていました。
ポートフォリオって、そのままの意味だと、書類入れとかファイルのことです。
文脈によって表すものが大きく違うのですが……

アートの分野では、作品集みたいな意味で、自分が今までに作った作品をまとめて、履歴書のようにバラまくもの。
金融業界では、運用資金の投資した先の、その割合や組み合わせのこと。
スポーツ界では、練習の目標や、今のスコア、自分の課題などを書き込むノート。『野球ノート』や『サッカーノート』などの名前で部活動をする生徒たちの間に広がっています。
教育分野では、学習の過程の成果物(読んだ新聞記事や、レポートや、発表資料などなんでも)をまとめておくもの。
そのほかにも色々な意味がありますが、今回は教育分野について。

なぜか、教育界では、このポートフォリオ、いまいち人気がありません。
2012年ぐらいにいろんなところで目にするようになりましたが、あまり広がっていないようです。
本当に効果があるの?という先生方の声をよく聞きます。
というか、私、納得いく説明を聞いたことがない。

しかし先日、東京学芸大学の森本康彦先生の話を聞いて、目から鱗が落ちました。
学習のパラダイムシフトが(やっと)起こっている!!!ということ。

ポートフォリオは、絶対的な正しさ、絶対的な知識がない分野で、効果を発揮します。
現代社会は、価値観が急速に変化し、そして多様化してゆきます。
毎日毎日新しい技術、新しい思想、新しい文化が生まれてゆきます。
一つのコミュニティーで一生暮らす人はほとんどいません。
生まれたコミュニティーで身につけた価値観や行動規範に、ずっとすがって生きることはできません。
自分と異なる価値観を持った人たちと出会う中で、自分の価値観を確立してゆく必要があります。
今の子供たちは小さい時から、毎日異文化に接しています。
学校を卒業した後も、50歳になっても60歳になっても学び続けていかなければなりません。
教科書はありません。試験もありません。だれも採点してくれません。だれも答えを知りません。
そんな中生きて行くために必要なのは、「学び方」を知っていること。

この「学び方」を知るための道具がポートフォリオです。
学んでいる過程というのは、外から見ていてもわかりません。すぐに消えて無くなってしまうものです。
それを注意深く記録しよう、という試み。
それがポートフォリオです。


2、認知療法
大学で就活が始まる時期から、どんどん友人たちが病んでいきます。
社会人6年目になっても、またお前もか…ってぐらいの勢いで病んでいきます。
日本はどうなっているんだ。なんという社会だ、と時々嘆いたりするんですが、
私が一人で嘆いたって世界は変わらないのです。

そんな病んでいく人たちにお勧めしたいのが、認知療法、認知行動療法です。
微妙に違うらしんですが、発想は同じ。やることもだいたい同じ。
事実と感情を、切り離して考える訓練をします。

みけにゃんProject

上記のサイト、結構古いし、語尾がムカつくんですが、わかりやすいと思います。
あと、別にこのサイトに書いてあること全部しなくてもいいんです。
とにかく、辛い自分の気持ちと、それを引き起こしている事実を分けて、書き続けること。

そしてちょっと落ち着いている時に、過去の自分のメモを読んでみると、
そうかこの時こんな感情になったのは、もしかしてあれのせいかもしれない、とか。
なんだこれ、これっぽっちのことで死にたいとか思っていたのか…とか。
自分の認知の癖や歪みが見えてきます。
自分の頭の中にある感情を、整理する道具になります。
そして感情をコントロールするためのきっかけを、知ることができます。

最初は何を書けばいいのかわからなくて、誰に見せても100点満点の、気持ち悪い日記になると思いますが、
慣れてくると、誰にも見せられない、大切な自分だけのノートになります。
これだよね、ポートフォリオ!!!
自分の中の思考の変化、成長の過程、トライ&エラーを記録してゆくもの。





3、『キンキー・ブーツ』
大好きな映画『キンキー・ブーツ』のミュージカル版、9月に日本人キャスト、10月に来日版、見ました!

感想は長くなるのでここでは触れず…。
とっても素敵な台詞がこちら。

You change the world when you change your mind.

認知を変えれば世界が変わる、ということ。
この言葉を改めて、噛みしめています。
今、努力して異質なものを受け入れても、次にまた新しい異質なものが登場します。
常に世界が変わるということは、常に自分の意識も変えていかなきゃいけないってことなんだなぁと。
そうしないと「男」とか「女」とか「日本人」とかいう危ういアイデンティティーにしがみつく人たちと同じになってしまう。

つながりが希薄、とか言われている現代の若者たちだけど、大丈夫。
教育は、「自分と隣人の価値観が違う」状態でも生きてゆけるように、準備している。
ポートフォリオ、すごいんだよ!

2016年10月19日水曜日

10年前の友人に対して、懺悔。

最近すごく過去のことで恥ずかしいというか後悔していることがあって、それは、 昔の友人への、自分の対応なんだけど。
昔の友人というのは、10年前、一緒に韓国語初級クラスに通っていた女性。
今はまったく連絡をとっていない。


彼女は、はじめて会ったときから在日韓国人であると隠さず、本名を使っていた。
彼女はいつも声が大きくて、明るくて、面白くて、いつもクラスの中心にいた。
いつも彼女の趣味のドラマとかダンスの話とか、仕事の話とかばかりしか話していなかったけれど、あるとき、彼女が、自分が在日韓国人であるということについて、話をしてくれたことがあった。
いつもと違って真面目に、少し目に涙を浮かべながら。

高校までは、通名を使っていたこと。
家族はいまでも通名を使っていること。
韓国にいる親戚と、言葉が通じなくて困ること。
在日韓国人は、有名大学を卒業しないと就職口がないと聞いて、浪人して、猛勉強したこと。
いつも持ちあるいている在留カードも、見せてもらった。
同じ韓国語のクラスに、在日韓国人が何人かいるということも教えてもらった。それが誰かは教えてくれなかったし、私も聞かなかったけれど。

私は彼女を当たり前の存在と思っていたので、
あなたを差別する人がいるの信じられない!
今は幸せそうでなによりだね!
と言って、笑っていた。

いま、いろんな在日外国人の方や外国語母語話者の方と仕事して、
お酒を飲んだりして、やっと、
差別は私のすぐ隣にある、ってことを知った。
彼女と会った10年前は、私は何も知らなかった。


在日外国人であることでどんな差別を受けているのか。
日本と韓国のどちらにも所属していない彼女が、本名を名乗れるようになるまで、どんなに悩み、苦しんだのか。
いま、本名を名乗ることで、どんな苦しみを味わっているのか。

在日外国人は、家を借りにくいとか、
在日外国人は、就職しにくいとか、
在日外国人は、レストランを予約してもトイレの近くの席に案内されるとか、
そんなの極々一部の差別主義の人がやっていることで、
私はしない(だから関係ない)と思ってた。

でもそういうことって、1回体験するだけですごく傷つく。
名前を名乗れば、外国人ですか?と確認され、
日本に住んで長いんですかと聞かれ、
日本語の能力が低いと思われ、
使ってもいないのに、通名にしたら、と他人に言われ、
「あ、うち外国人には部屋貸せないんですよ」と面と向かって言われることは、
すごくすごく傷つく。
自分はなんで「日本人」じゃないのか、何度も悩んだだろう。

笑顔で私の目の前にいた彼女は、そういう体験を確実にしていて、
毎回、傷ついてきたんだと、いまの私は想像できる。
そんなことも知らず、他人事のように彼女の話を聞いていた、かつての私…。
あのとき彼女は、私にもっと話したいことがあったのかも知れない。
嫌なことがあったのかもしれない。
もっと寄り添ってあげられたかもしれない。


日本で生まれて日本で育って日本で働いて、
日本で生活している人は、日本国籍を持っている人だけじゃない。
日本語を母語としている人だけじゃない。
日本文化に属する人だけじゃない。
日本にいる「外国人」は、旅行者や留学生だけじゃない。

最近、いろんな場面でわっと後悔の念が湧き上がって、
どうしたら良いのかわからなくなるので、ここに 書いておきます。
知らないとは、こんなにも恐ろしいことなのか。
いまの友人たちと、これから出会う人たちを、大切にします。
懺悔。

2016年1月5日火曜日

年末年始に思い出した、2015年の変化

2015年は、いろんな世界に飛び込んで、コミュニケーションを学ぶ1年だった。
なんだかんだもみくちゃにされているうちに、「今、社会人に求められる力」みたいなものがちょっとは身についたと思う。
今までは、学力とExcel力だけで生きてきた感じだったもんね。
なんだかうまくいっているぞ、と思う点を記しておきます。

■「コミュニケーション能力とは、嘘をつくことではない」と気づいた

コミュニケーションについて悩むシリーズ。
第1弾→ 相談が苦手でオタク気質な私の話し方トレーニング
第2弾→ 人間関係を悩み続けてみる(5ヶ月目)
第3弾→ エポケー(判断保留)とエンパシー(共感)について

「コミュニケーション能力」って誰とでも問題なく差し障りのない会話が続くことではなくて、
相手が求めていることを理解して、それを提供する力だとわかった。今更!
誰かのために頭を下げ、交渉し、クレームを言うという経験は、公私ともに増えた気がする。

おいしいレストランを紹介したり、
相手が腰の悪い人だったら、テーブル席をお願いしたり、
帰りにすぐタクシーに乗るために、事前に予約しておいたり、
資料のサイズを統一して、見やすいように並べ替えたり、
道に迷わないように、交差点に看板を設置したり、
お手洗いに手を拭くタオルなどがあるか確認したり。
どんな状況になってもいいように準備しておくと、自然に行動範囲が大きくなって、
相手が困っている時に、「ペンお貸ししますよ」とか「この 袋使ってください」とか声をかけられる。
これがどれだけ重要なことか、海外出張でよくわかった。

こうしたら、もっとこの人が今の時間を楽しんでくれるかもって思うと、電話をかけることもまったく苦じゃない。
でもやっぱり、自分にふりかかったことに対するクレームはまだ上手く言えない……


■お金をかけることの大事さがわかった
仕事でも、プライベートでも、ボランティア団体に関わっている。
どれも、不幸にも、国や地域の行政の力が及んでいないところ、という分野だ。
少しでも状況が良くなって欲しいと切実に思っている。
でも、ボランティア団体にはもう、自分は、関わらなくていいかなって思えた。
理由は「ボランティアが活躍している限り、状況は変わらない」と思ったから。

お金をもらっている人と、お金をもらっていない人は、労働に対する価値観がまったく違う。
正直、共存はできない。
ボランティアが活発になればなるほど、その付近でお金を稼いでいる人は、心穏やかではない。
むしろ、無料で質の悪いサービスが横行して、プロが駆逐されるんじゃないかな。

プロフェッショナルになるというのは非常に大切なことだと思う。
でも、ボランティア団体が急にプロフェッショナル団体になり、お金を稼ぐのは難しい。
そもそもそんなこと求めてない人がほとんどだし。

やっぱりどんな問題も、
今、その付近でお金を稼いでいる人が、その業界を改革・盛り上げるしか方法はないのかなって。
そう思ったら、なんだか急にボランティア団体と関わる意味が見出せなくなってきた。
「◯◯で飯を食う」とか「プロフェッショナルと関わりたい」というのは、
好きではない発想だったけど、今では、その意味が良く分かる。


■ストレスの対処法(ジョギング、低用量ピル)を知った
嫌なことがあったら走るって、すごく中学生的な考えかもしれないけれど、
その時、私にはそんな発想もなく、甘いものとかご飯とかに頼っていた。

そう。
今まで、元気がないときは「プラスする」方法で解決していた。
何かたくさん食べたり、何か買ったり、サプリを飲んだり、
厚化粧したり、派手な洋服着たり、
元気が出る映画みたり、テンションの高い音楽聞いたり。

今は「マイナスする」方法があると知っている。
夕食を食べなかったり、お酒を飲まなかったり、汗をかいたり、
化粧しないで肌を休めたり、ゴムのズボン履いたり、
簡単に泣ける映画を見たり、何もしなかったり。

低用量ピルに関しても、副作用はない。
休みを取ることも少なくなって、すこぶる良い。
「生理は管理できる」っていう圧倒的な安心感。勝った感!
あらゆるスケジュールを決める時の(あ、その日生理かも…)っていう不安がゼロになる。
悩んでいる人は早く飲めばいいよ。

ピルを飲むまでの記録→ 健康になりたい!

2015年7月6日月曜日

あなたの考えは古いと言いたい。言えない。

コミュニケーションについて悩むシリーズ。
第1弾→相談が苦手でオタク気質な私の話し方トレーニング
第2弾→人間関係を悩み続けてみる(5ヶ月目)
第3弾→エポケー(判断保留)とエンパシー(共感)について

以前ちょびっと書いたように、現在児童養護施設で学習支援をしているが、そこの方針に、全く気に入らないものがあるので、悶々としている。
賛否両論あるので、これから1年かけて、方針を決めなおすらしい。
ボランティア団体には、参加して1年未満だが、うまい感じに、方針を変えたい。
方針が変わらなかったら、このボランティア団体を辞めたいぐらいだ。


■気に入らない方針
スマホ、パソコン、電子辞書などを使った学習は、自粛するように。


■この方針がある理由
子供たちは、機械ばっかりに興味が行って勉強をしなくなる。
機械で子供たちを釣るような行為は、このボランティア団体の活動方針にそぐわない。
全員分のスマホ、PC、電子辞書を用意できるわけではないので、子供達の中に不公平感がでる。


■私が考えていること(未整理)
この方針には、「スマホ、パソコン、電子辞書は便利な道具。使い方が大事」って発想がまったくない。

正直ですね、今のご時世、「わー、パソコンいいなー私も使いたい!」「スマホかして!かして!」とか言ってる小学校高学年、中学生の方が珍しいんじゃない?
みんな、日常的に親のスマホ触っているし、小学生向けのプログラミング教室があるぐらいなんだから。

っていうか、大人が普段使っているものを子供が使ってはいけない理由って何?
危ないの? 私たちは危ないものを日常的に使っているの?
危ないけど、「便利」の方が勝るから使っているんでしょ。
便利なら使わせるべきだし、危ないなら危なくない使い方を教えるべきなんじゃない?
その危ないものの使い方を、「高校生になったらバイトでお金ためて、欲しいものは自分で買って、自分で体張って学びな」っていうのはおかしいよね。

スマホ、パソコン、電子辞書の話になったら、急に平等にとか言い出すのおかしくない?
子供たちそれそれの歩みがある。学校教育ではサポートできないところを云々、とか言ってたじゃん!
全員分用意できないことなんて初めから分かってるし、PCに興味ない子供だっているでしょ。
子供たちの興味に、こちらが合わせられるだけでいいんだよ。

子供たちが「スマホ、スマホ」言ってたってな、
スマホで何ができるか知らないんだよ!まず使わせて、何ができるか体験させなきゃ!
IT教育は、それからだ。


■どうしたいのか
リーダーと喧嘩するつもりもないが、「おかしいと思っていること」を伝えたい。
できれば、ルールを変えたい。
まずは、相手の考えを探ろう。徹底的に考えよう。


と、もやもやしていたら、
先週「小学校の英語はお遊びみたいなものだから、教えなくていい」と言われた。
なんというアナクロニズム!
今、私が担当している小学5年生は、英語でお話ししたくて仕方ないのだ。
この好奇心と、エネルギーを無駄にしたくない。
正直絶望している。もうルールなんで無視しようかな。

2015年5月7日木曜日

エポケー(判断保留)とエンパシー(共感)について

コミュニケーションについて悩む第3弾。
第1弾→相談が苦手でオタク気質な私の話し方トレーニング
第2弾→人間関係を悩み続けてみる(5ヶ月目)


シンパシー(同情)エンパシー(共感)に関しては随分前にも気になっていて、どこかにメモっていたはずなんだけれど、どこだったかしら。


最近、特に会社の上司・先輩から「すごく変わってきた」「急に気持ちよい会話ができるようになった」「メールの書き方が変わり過ぎてビビった」と言われている。
なんだか自覚症状もありまして、人の会話を聞いて「この方法じゃ伝わらないよ…」「あーこの人なんでこんな方法で言っちゃうのかな」と思うことがあった。以前は、思ったことは何でも言えば良い派だったのに…
そのとき思い出したのが、エポケー(判断保留)とエンパシー(共感)のこと。

私は、シンパシーを感じる(同情できる)人にとはすぐに仲良くなれるけど、シンパシーを感じない(同情できない)人とはなかなかうまく距離感が測れない。不配慮に「気にしすぎじゃない?」「私ならそんなことしない」とか言ってしまう。
シンパシーを表明しすぎてどん引きされることもあるのに、他人のことには興味が無いのねとか、冷たいとか、無反応だとか言われることが多かった。


そんな時はエポケー(判断停止、判断保留)とエンパシー(共感)を考える。
相手の話を私がどう思うかではなく、
「私と違うこの人は、何のためにこの発言をしたのかな」
「私と違うこの人は、今どんな状況にいて、私の言葉をどのように受け止めるかな」
とかそういうの。

シンパシーとエンパシー|Good News Collection

エンパシー(共感)とシンパシー(同情)|八代京子、荒木晶子 著『異文化コミュニケーションワークブック』

エポケー(epokhe)|日本語教師のページ

相手の話を聞く──エポケー|八代京子、荒木晶子 著『異文化コミュニケーションワークブック』

読んでないけど、たぶんこれもそんなことを書いてあるはず。
平田オリザ著『わかりあえないことから──コミュニケーション能力とは何か』


「この会話で何を成し遂げたいか」がはっきりある人と、見失っている人のコミュニケーションは、すぐ分かる。
瞬発力と直感で、ガンガン議論して熱のこもったやり取りする前に、一歩立ち止まって、ゆっくり相手を見ることが大事。そう考えると相手の目をみるのも怖くなくなってきた。
私もここまで成長しました(涙)

コミュニケーション能力というのは、相手に媚びたり、嘘を言うことではない。
相手が求めている応えと、相手に伝わりやすい言い方があるだけ。