2008年5月7日水曜日

『伴奏者』

ロシア・東欧文学熱の冷めていない私は、
本屋に行くたびに、ロシア文学棚へ。


『伴奏者』 ニーナ・ベルベーロワ著 高頭麻子訳  河出書房新社

いわゆる亡命ロシア文学なので、フランス語からの二重翻訳です。
貧しいピアノ教師をしていた母と二人で育った娘、ソネーチカの手記の形をとっています。

音楽院を卒業したソネーチカは、夜中のジャズ伴奏などをして飢えを凌いでいた。
しかし、人気のソプラノ歌手の伴奏者になったことで、ソネーチカの生活は一変する。
ご飯をたくさん食べられる。
飼い猫にミルクを与えている。
暖房の効いた部屋で、ピアノの練習ができる。
サロンや賭博、豪華な人々と生活を共にするソネーチカは、ある野心に燃えていた。
主の信頼、愛情を惜しみなく受け、そして最後に、裏切り、彼らの生活を壊してしまおう、と。

しかし、ソネーチカの願いは虚しく、彼らの世界は彼らによって崩壊するのであった。

「すべてが変った。二年間の生活も、不安も、尾行も、すべてが終わった。そして、成しとげられたことはすべて、私なしで、私の外で、あたかも私など存在もしなかったかのように、成しとげられたのである。…中略…私は片隅で彼らを眺め、彼らの仲間に入ることに憧れ、誰かの何かを台無しにしてやりたい、あるいは、誰かを手伝ったり、その好意によって自己を主張したいと願った。」(p.125)

ソネーチカは必死に、自ら行動し、情報を集め、作戦を練った。
しかし、物語は、彼女と関係なく進んでゆく。
彼女が壊したいと願った世界は、彼女が関われない物語だったのである。
この無力感。
常に傍観者であったソネーチカが、主人公となっている物語。
このアイロニー。
まさに、私が読みたかった、物語でした。

2008年4月7日月曜日

『灯台守の話』


『オレンジだけが果物じゃない』を読んで気に入ったので、買いました。
一緒に買った『アメリカにいるきみ』は、イマイチだった。


『灯台守の話』 ジャネット・ウィンターソン 白水社

盲目の燈台守ピューに引き取られた、孤児のシルバー。
閑散とした港町の外れにある灯台で、闇と一緒に暮らすふたり(と一匹)。
小さな限られた世界。
しかし、海は、果てしなく広がっている。
ピューの物語る膨大な話の中で、シルバーは育った。

「あなたが書いているのは一つの人生についてですか、それとも複数ですか?自分にはいくつもの人生があると、感じることはないですか?」
「それはもう。たった一つきりの物語を話すなんて、そんなの不可能です」
「しかし、そうするべきかもしれませんよ」
「始まりがあって、真ん中があって、終わりがあるような?」
「ええ、まあ、そんなようなものです」
…中略…
「先生はジキル博士とハイド氏のお話を知っていますか?」
「ええ、もちろん」
「つまりね―ジキルにもハイドにもならないためには、両極端のあいだにあるすべての人生を見つけなくちゃいけないんです」(p.170-171)

鬱病患者は、自分がどれだけ辛いかを話すことだけに、全力を尽くす、と言われたことがある。
自分を物語るということが、生きる糧となる。
シルバーとバベル・ダークの物語りは、自分と世界を繋ぎ止める、命綱であった。
生きるために、必要なこと。
そして生きた足跡。

複雑に、いくつもの物語が絡み合った構成。
世界はいつもこんな感じなんだ、と思った。

2008年1月19日土曜日

『ウルトラバロック』


友人から押し貸しされれた写真集。
『ウルトラバロック』 小野一郎 新潮社

「バロック様式とは、もともと『歪んだ真珠』という意味で、ルネッサンスのような正統な様式に対して異端であることから、その名が与えられました。その異端の様式がメキシコに集められた世界中の様式をのみこみながら、さらには古代アメリカの土着の感性とも融合し、建築を隙間恐怖症とでも呼べるように装飾でびっしりと埋めるようになります。これがウルトラバロックと呼ばれるゆえんです。つまり、バロック中のバロック、異端中の異端ということなのです。」

昔から、マヤ文明が好きでした。
石柱にびっしり刻まれたマヤ文字。
多くの装飾品を身につけた神々のレリーフ。
マヤ芸術は、私の美意識に大きな影響を及ぼしました。

その土地で、1000年ほど後に栄えたのが、ウルトラバロックという芸術。
過剰な装飾と鮮やかな色彩は、まさに、3D曼荼羅。
目が疲れます。
磔のキリスト像は、体中の傷口から血がだらだら…
恋月姫の「血の涙を流すルチア像」のモデルとなった、守護神の人形の写真も載っています。

メキシコはおもしろい。
久しぶりに、中学のとき買ったマヤ文明の本を発掘しました。

2007年11月14日水曜日

『オレンジだけが果物じゃない』


「神さま、わたしの純潔をお守りください。」
という帯を見て購入。

『オレンジだけが果物じゃない』 ジャネット・ウィンターソン 国書刊行会

熱狂的なキリスト教徒の母親に、
宣教師になるために育てられた少女ジャネットの成長と反抗の物語。
同じ教会に通う少女メラニーとの恋に目覚めてから、
いままで絶対の存在であった教会、牧師、母に疑問を抱くようになる。

「世に中には、食べないケーキはとっておけると思っている人もいる。でも取っておいたケーキは腐り、それを食べれば命取りになる。久しぶりに帰った故郷は、きっとあなたを狂わせる。」(p.255)
成人式に出ない理由が見つかって
なんだか安心したり。

「火のような激しさで死ぬまで愛してくれる誰か、愛は死よりも強いと知っている誰か、永遠にわたしの側にいてくれる誰かを探しつづけている。わたしを壊し、わたしに壊される誰かを。…わたしは海を渡ることも日に灼かれることも、持てるすべてを失うこともいとわない。ただし男のためにそれをやろうとは思わない。男たちは壊そうとするばかりで壊されることを嫌うから。」(p.270)
結局、女の同性愛は男性恐怖なのだろうか。
同性への恋の芽生えに戸惑う少女の物語が読みたい。
それは、レズビアンではなくバイセクシャル?

2007年11月1日木曜日

『八本脚の蝶』 二階堂奥歯


「乙女」「戦う乙女」「自分が女でよかった」という考え方を
私に埋め込んだ本。
昨年この本に出会い、いまだ二階堂奥歯の影響下にあります。

『八本脚の蝶』 二階堂奥歯 ポプラ社
2003年に自殺した、女性編集者の同名ブログの書籍化。
大量の本を読み、外の世界と、そして自分と戦い、
悩み、苦しんだ彼女の思考の記録です。

本当ならば、
彼女の読書量、思考の深さに圧倒されるべきなのだろうけれども、
私は、二階堂奥歯の「戦う乙女」の強い意志に気圧されました。
この人は、自分の思想を持って生きていた。
たとえそれが辛くても、自分の理想の姿でいることを諦めなかった。
積極的に自分が女であることを、受け入れる。

社会的女であることを強制され、苦しんでいた私には、
そんな彼女の生き方が、
とても輝いて見えたのです。
まさに、乙女のバイブルであります。