2009年6月13日土曜日
『女になりたがる男たち』
エリック・ゼムール著 夏目幸子訳
『女になりたがる男たち』新潮社(新潮新書) 2008
著者はパリの保守系『フィガロ』誌の記者。
パリでのフェミニズム運動が始まる前に生まれ、
女たちが伸し上がり、男らしい男たちの衰退を目の当たりにした著者の、
男性復権を主張する本である。
フェミニストが大嫌いで、
フェミニストに育てられた、女みたいな男も大嫌い。
俺達は誇り高き男だ。
男でなくして、存在し得ない。
男万歳。
女に負けるな。
父権崇拝者であり、男の仕事場と女を守りたい、
代表的な男とも言える著者の意見には、賛同しかねる部分も多くある。
しかし、現代のフェミニズムなのかなんだか分からないが、
こんなに男性、父権を持ち上げた本を見た事が無かった。
あるとしたら、昭和の女学生批判の本ぐらいだ。
女を批判の対象とし、男が生物学的雄として自信を持てと主張している。
そうだそうだ!
男と女は生まれながらにして敵なんだ。
どんなにセンチメンタルでロマンティックな言葉を並べたって、
物質的な違いは決して越えられない。
セックスはセックス、愛は愛。
愛のあるセックスなんて、存在し得ない。
セックスは物質的で、圧倒的に、現実。
愛は抽象的で、限りなく、フィクション。
NHKでも民放でも、「草食系男子」が話題になっている。所謂「恋愛に消極的な男の子」らしい。
それはフェミニズムの賜物。
女に逆らわず、女に優しく、女みたいにオシャレで、女みたいにシャイ。
それを男たちに強制したのは女たちで、
純粋で正直で本能的な男たちは、強い女の言う事には逆らわない。
でも女にとっては、言外の望みが一番大事だった。
女の性的欲求を満たすほどに、男の性的本能を守ること。
けれども、女は男の本能を削ぎ落とし過ぎた。
女に都合の良い本能すら捨てた男は、男ではない。
何と自分本位なこと。
肉体的女と、肉体的男を語ることを許さなかった女たちは、行過ぎた結果にがっかりし、肉体的男を責めるのだ。
私は、女に生まれた。
生まれた後に、女になるか、男になるかなんて、誰も変えられない。
私はフェミニズムは良く分からない。
関連書も読んだことが無い。
でも、たぶん、フェミニストとは仲良くなれないのだと思っている。
男頑張れ。
女はもっと頑張れ。
2009年6月1日月曜日
『高校生のための』
新しいんだけど、懐かしくて、買ってしまった。
この気持ちを表す言葉は、日本語にないのかしら。
筑摩書房の
『高校生のための現代思想ベーシック ちくま評論入門』 2009
『高校生のための現代思想エッセンス ちくま評論選』 2007
高校入学の時だったか、
父親が私に買い与えてくれた本が、以下の4冊。
『高校生のための小説案内』 1986
『高校生のための批評入門』 1987
『高校生のための文章読本』 1988
『日本古典読本』 1988
いずれも筑摩書房の単行本で、
特に『高校生のための』三部作は、やたらめったら評価が高い。
教科書のような、アンソロジーの形を取っていて、とても読みやすいのです。
が、内容はあまりに学校の教科書と懸け離れている。
こんなこと書いて良いの!
素晴らしい考えだ!
こんな人になりたい!と、
どの文章も私に影響を与え、思考させ、陶酔させ、悩ませた。
考えることを止めてはいけないと思う時には、
常に、この本の存在が脳裏に浮かぶのです。
2ページの文章を読んだだけで、
「私はこの人より賢くなれない」と思わせる文章の集まり。
私は愚かかもしれないけれど、ならば、もっと、他者から学び、自分自身で思考することを諦めてはいけない。
私は常に、過去の私以上で居たい。
2009年2月17日火曜日
『昭和美少年手帖』
いろいろと、
話題に上っている新撰組マンガ、
『風光る』 渡辺多恵子 小学館フラワーコミックス
を読み、思わず
『ランプの本 昭和美少年手帖』 中村圭子編 河出書房新社
を購入。
武士素敵。
武士になりたい。
自分のために死ぬ女子ではなくて、
心に決めたひとりの為に死ぬ武士になりたい。
美しい少年には価値があると認めていた、江戸時代の社会が素敵だと思うのです。
そう、少年は美しいのです。
声変わりして、髭の生え始めた男性は、美しくない。
女らしさを知った女が、美しくないのと同様に、
男らしさを知った男は、美しくない。
男と女の恋は畜生の恋。
男と男の恋こそひとの恋。
女に溺れることを恐れた、へたれ男子集団が作った屁理屈でも、
女を買うお金の無い貧乏浪人たちのひがみであっても、
それを師に教わり、教訓とし、
忍ぶ恋に眠れぬ夜を過ごした、真摯な武士達の精神は馬鹿にできません。
3年おきぐらいに来る武士ブームも、
今回はなんだか大幅に偏りを生じ、
他言できない方向へと進んでゆきそうです。
神や仏を、命を賭けて仕えるべき方と心に決め、
全てはその方のために。
シスターや尼さんが美しいのは、この迷いの無さなんでしょう。
あぁ、美しい人になりたい。
死に方を選ぶための生、そんな期間です。
2009年1月2日金曜日
『わたしは驢馬に乗って下着をうりにゆきたい』
二階堂奥歯の読書録から、
選んでみました。
『鴨居羊子コレクションⅠ 女は下着でつくられる』 国書刊行会 2004
日本で始めて色つきの下着をデザインし販売した、
チュニック創立者、社長、記者、随筆家、人形作家、デザイナー。
人生と言う物語とは、
こんなものなんだ!と、勇気がわく本でした。
開拓者です。
「当時、お風呂場でぬぎすてた上衣の中身には、何とタマネギのように何重もの下着がどっさりとくっついてきたことだろう。愛着すら残らない単なるメリヤスのシャツやメリヤスのシュミーズを、冬の長い年月を毎日毎日ゴロゴロと体にくっつけているのである。ついには、ゾーキンかボロ布のようにすら思えてきて、朝服を着るときも、夜服を脱ぐときも、それは人生の重荷を象徴するかのように、にぶいネズミ色で重かった。私は冬がいやだった。」 (「わたしは驢馬に乗って下着をうりにゆきたい」p.39-40)
「黒タイツにつつまれた私の脚は考えていた。実用的なことが同時に美しいというわけにはゆかんもんだろうか?毎日毎日働くこの体、この脚は毎日機能的で心地よく、そして美しくたのしくないといけない。ある日は、よそゆきのために、美しい薄着をし、ふだんはひどく腹のたつ、もたついた分厚いものを着ねばいけないということが気にくわない。『実用品』を名のっているメリヤス製品が、実ははなはだ着心地わるく、肩がこり、人生がいやになるシロモノすれば、これはほんとのイミの実用性とはいいがたいじゃないの、と私は思っていたが、多くの人々も無意識にしろそうだったと思う。」(p.41)
初売りの買い物は、下着に決定です。
今まで買った事のないような、かわいくて華やかなものを買おう!
2008年9月1日月曜日
『旅のモザイク』
大学の書店での夏休み旅特集とかなんとかで、
平積みにされていたものを迷わず購入。
澁澤龍彦 『旅のモザイク』 河出文庫
南イタリアと中近東と日本(地水火風)の旅エッセイです。
南イタリアはゲーテに触発されて、
中近東は千夜一夜物語を追って、ということで
芸術論や文学論がちらほらと出てきますが、
そのほかの部分は、普通の旅日記。
何を見て、何を感じたか。
私は韓国滞在中に、イスラームの人たちと初めて仲良くなりました。
毎朝6時半に祈祷し、蒸し暑くても長袖のシャツに長ズボンを履き、綺麗なヴェールを被り、
にこにこ笑っている女の子。
異国情緒というのは、とても人惹きつけるものですね。
彼の、シラーズでのジプシーとの遭遇は、きっと
衝撃的で、鮮やかなものであったのではないかなと、妄想がやみません。
石垣島でのホーバークラフトについて、
「走行中のおびただしい水しぶきのため、五十人乗りの船室の窓は密閉されているから、あたかも新幹線の乗客のように、私たちは外を見て楽しむことが出来ない。デッキの上で、海風に吹かれるというわけにもいかないし、珊瑚礁の海の七色の変幻を眺めるというわけにもいかない。これはなんとも味気ないものである。便利と言うのは、ろくでもないものだと思った。」(p.126-127)
と述べていますが、
新幹線に乗りながら、そうそうと頷いてしまったり。
2008年7月12日土曜日
『日記』
『ポルノグラフィア』の訳者あとがきに引用してある、
ゴンブロヴィッチの日記の一節が、気に入ったので。
<<わたしはエロティックでない哲学を信じない。私は非セックス化された思想を信じない……
ヘーゲルの『論理学』は肉体とある距離を保つことなしに着想され得たと考えることはむずかしい。だが、純粋な意識は、再び肉体のなかへ、セックスのなかへ、エロスのなかへと浸られるべきものであり、芸術家は、哲学者を、あらたに魅惑のなかに投げこまねばならない>>
なんてこと。
私は自分の身体から逃げられないこと、
この肉体を持っている限り、
責任を負わなければいけないと思っていたこと。
それを肯定してくれるんですか?
この私は、女という変えられない肉体の中の現象なのだと、思いますか?
この場合、「エロス」とはどう解釈すればよいのでしょうか。
肉欲?物欲?
男と女は、一組で完璧であるということ?
もっと、この著者のことを知りたい。
しかし、もっと問題なのは、
1967年7月の時点で、同じ一節を、
青い万年筆でマークしている人がいるということ。
同じ万年筆でサインもしてあるし。
なんて読むかわからないし。
誰だろう。
もう、41年も昔のことだけど、
こんな素敵な本の上で会えてうれしいです。
2008年7月11日金曜日
『ポルノグラフィア』
大学の図書館で、紙の匂いがする本を発見。
河出書房の人間の文学シリーズの26。
1967年の初版本。
『ポルノグラフィア』 ヴィトルド・ゴンブロヴィッチ著 工藤幸雄訳 河出書房
あれ?
これ、結構いい古本なんじゃない?
『春本』なんて題名の本が、ただのエロ本であるわけがない。と確信して。
装丁もかわいい。
鼻血が出るタイプのエロじゃなくて、
よだれが出るタイプのエロ。
はい。大好きです。
「目の前をゆく彼女の動きは、ある種の方法で少年とかかわりをもっているようにも見える。おなじく群衆にもまれながら、すぐ近くでもがいている彼の体の動きにひそかに答え、ささやきかわすかのようだ。本当に?目の迷いではないか?(中略)
彼女の中のすべてが(彼のために)存在していた。少しはなれて、人びとの間を平静に歩いている少年も、じつは彼女の方に惹かれ、彼女によって緊張している。昂然と、あたりかまわず、しかも落ち着きはらって群衆に混って進んで行く、自分自身に惚れこみ、憧れながらあれほどまで無関心なさま!ああなるほど!そうか!一目見たときから私を圧倒した彼の秘密が、いまこそ分かった。」(p.32)
「私には分かっていますよ、そうすることは彼らにとって、あまりにも完全すぎるから。あまりにも完璧すぎる。
不完全が完全になる、これが鍵です!
偉大なる神よ!あなたは完全そのものだ!だが、あれはあなたよりはるかに美しい、私はこの手紙で、あなたを否定します。」(p.182-183)
「『失礼!sex appealのことを考えていたんです。普通そう呼んでいるものを。二人がいっしょにいるのを初めて見たとき……一年も前ですが……すぐに気がつきました。セックス・アピール。引力、性的引力です。(中略)
いまになって、それがもしかしたら――私の想像以上に、何よりも悪いものではないかと恐ろしいのです。(中略)
二人は地面に倒れた……どうも違う、普通の動きではありません。それからすぐ起き上がった――これも違う。そうして立ち去る、やっぱり違う。あれは何です?何の意味です。ああいうもんじゃありません!』」(p.208-209)
そう、不完全だから美しい。
完全に憧れ、自分の不完全さの魅力に気づかずに、
堂々と不完全を人目に晒している。
こんなにも、人を楽しませている事も知らずに。
その無知もまた美しい。
もちろん古本屋さんに注文しました。
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